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小田原ウォーキング
11年前(2014年)の3月のある日、小学6年生だった長男が「こんど小田原城まで歩いて行ってくるわ」と唐突に宣言し、私を含めた家族は「はあ~?」と応答した。
長男は小学3年生から6年生まで少年野球を続けており、毎週末の時間は野球の練習や試合で過ごしてきた。長男の宣言は、少年野球の活動が終了してから中学に進学するまでの間の自由を謳歌していた春休み期間に発せられたものだった。
当家は神奈川県藤沢市の西側にある。グーグル・マップで調べると、小田原城までは34キロ、徒歩8時間とのことである。小学生のウォーキングとしては相当チャレンジングである。
思いつきの背景と本気度を確認した後で、とりあえずチャレンジ精神については称揚した。
背景に特段のものはなく、一言で言うと暇にあかした思い出作りだった。それにしては突飛な計画だったが、本気度は満々だった。ちょっとあほな小学生の無鉄砲な冒険精神、それだけと言えばそれだけ。
チャレンジ精神をほめた後で、ところで道はわかってるのか?どのくらいの時間がかかるのかわかってるのか?などなど現実的な質問をしたところ、案の定、白紙に近い状態だった。
翌日の朝、かくかくしかじかの内容の「行動計画書」を母親とも相談しながら作成することを命じて会社に向かった。帰宅すると、歩行ルートとマイルストンごとの想定経過時間を記入した地図、携行するもの、連絡手段などが書かれたそれなりの計画書が出来上がっていた。
内心ではこの計画実行にけっこう心配していたのだが、ゴー・サインを出さざるを得なくなった。
決行の直前になって、バディができたことを知らされた。少年野球で3年間バッテリーを組んできたYも一緒に行くことになったとのこと(長男はキャッチャー)。それはよかった、ということで決行当日を迎えた。
結果としてご立派な冒険談はなかったので、結論を急ぐと、中間地点あたりの「大磯」駅からJRに乗って帰還することになり、彼らの「小田原チャレンジ」は失敗に終わった。
途中の平塚にバディYの親戚の家があり、少し休憩させてもらってから先が辛くなってきて、「大磯」駅付近のマクドナルドに立ち寄って長居してしまったことで、心のエンジンの再スタートがかからなくなってしまったとのこと。
グーグル・マップを見ると、当家から「大磯」駅までは、小田原までの距離のちょうど半分の17キロ。ちょっと長めの遠足でしたね。
少年たちのプチ冒険譚は笑い話として幕が引かれた。
昨年(2024年)2月半ばのある日、週間天気予報を見ていると、週末土曜が快晴で季節外れの暖かさになるとの予報が出ていた。とくに予定もなかったところにふと思いついたのが、小田原ウォーキングだった。
先述の通り、小田原までは徒歩8時間ということなので、朝の7時に出れば途中の休憩を考慮しても、暗くなる前にゴールインできることになる。帰りはJR東海道線で30分である。
数年前から健康増進のためにウォーキングを始めていて、妻といろんな場所を歩いて、おいしいビールを飲んだり、おいしいものを食べたりするのが、週末レジャーの一つになっていた(途中でビールを飲めるのがウォーキングの最大の魅力!)。
自宅から茅ヶ崎や江の島あたりまでウォーキングして(江の島までは片道11キロ、2時間半)、ビールを飲んでゆっくり過ごして、バスなど公共交通機関で帰宅するというようなパターンだった。
それらと比べると、小田原ウォーキングはかなり壮大な計画になるが、妻と相談して、長男たちの10年越しのリベンジかたがたトライしてみることにした。
大人の「行動計画」の重要項目である、「おいしいクラフトビールが飲めるお店」についても徹底調査によりいくつかの候補を絞り込んで、当日AM7:30いざ出発となった。
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予報通りの申し分ない快晴の一日だった。途中いろいろな場所から素晴らしい富士山を拝むことができた。
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今回の計画は予め長男にも知らせていた。50歳代の初老夫婦が10年前の我が子のリベンジを果たすべく頑張るので応援せいと、途中経過のラインを送っていた。
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最高の天候に恵まれた東海道は、絶好のウォーキング・コースだった。
風光明媚な自然、太平洋を望む雄大な風景、歴史を感じさせられる街並み、反対に退屈な景観が続く区間、不思議な看板や標識、行き交う数多くの人々、トイレをお借りしたスーパーで観察される地域性などなど、様々な風景や空気を一日かけて五感で感じ取ることができた。
途中で寄り道をしたのが、大磯にある「旧吉田茂邸」。2009年3月にいちど火災で消失してしまったが、大磯町が再建したものが2017年から一般公開されている。国内外の数多くの要人がもてなされたというだけあって、豪壮かつ上品なつくりのお屋敷と庭、そして太平洋や富士山を望む絶好の眺めを楽しむことができた。
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吉田茂邸の近くにあるイタリアン・レストラン「ウロンヤ」で昼食をとった。行き当たりばったりで入った店だったが、アットホームな雰囲気の中で本格的なイタリアンを出してくれる気持ちのいいお店だった(おすすめ)。
さて、事前リサーチして目標としていたクラフトビールが飲める店は、小田原の2つ隣の駅である「国府津」駅が最寄りになるハンバーガーとクラフトビールにこだわった店「Marshmallow」だ(国府津は小田原市内の東部に位置する町)。
大磯からは11キロ(徒歩2時間半)ということで、疲れが蓄積してきたところだったが、おいしいイタリアンを食べ終えてから目標を目指してリスタートを切った。
吉田邸以降は特別な史跡などがあるわけではなく、海沿いの単調な道が続く区間だったが、左手に太平洋を感じながら、少しウォーカーズ・ハイ気味にてくてくと歩くことができた。
そして、ようやくたどり着いた「Marshmallow」は、人気店らしく、少し並んだが、開放的なテラス席(防寒対策あり)に通された。珍しいクラフトビールが数多く揃っていて、飲み比べセット等が堪能できる最高のお店だった(超おすすめ)。
国府津じたいが、小さな町だけど、歴史的な建造物など古きを温めつつ、Marshmallowのような新しいものも知るという感じの素敵な町だった。国府津界隈には他にも新しいいい感じのお店があるようだった。
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さて、この後だが、先述の通り、国府津はすでに小田原市内に入っているので、「小田原ウォーキング」は終了と言えなくもないこととおいしいビールをかなりいただいたこともあり、「国府津」駅からは東海道線に乗って「小田原」駅に降り立った(いちおう当初の計画は、Marshmallowからもう少し歩いて「小田原」駅がゴール)。
そして、ちょっとずるしたことは言わずに、「小田原」駅前の北条早雲像の前で写真をとって長男に誇らしげに送ったことは言うまでもない。
いちおう「国府津」から「小田原」までのルートは別の日に踏破した。
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この小田原ウォーキングという経験は、ウォーキングに関して確実に私と妻の自己効力感(目標を達成するための能力を自らが持っているという認知のこと)を高めた。その後、鎌倉や海老名などへのウォーキングは、ひるまず、迷いなく出発することができた。
心理学者のアルバート・バンデューラが社会的学習理論の中で重要視していた自己効力感(self-efficacy)を形成する4つの影響要因(遂行行動の達成、代理的経験、言語的説得、情動的喚起)のうち、王道である「遂行行動の達成」によってウォーキングに関する自己効力感が高められたと言える。
小田原ウォーキングで獲得された自己効力感が、鎌倉や海老名までのウォーキングを実現させ、自己効力感がさらに強化されるという好循環が形成されたようだ。次はどこまで行こうか。