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【ミュージカル映画】YouTubeで見られるミュージカルシーン100選(前編)
(1)はじめに
この記事では、数あるミュージカル映画のミュージカルシーンの中からイチオシのこれは豪華だ!見ごたえがある!世界最高のショウだ!と思うものについて紹介していきます。
前編ではまず1960年以前について紹介しますが、たぶんこの時代のミュージカルシーンをここまでたくさん取り上げてる記事は他にはないと思います。是非これを機会に見てその凄さを感じていただければと思います。
※ページが重くなるのを軽減するため二回に記事を分けて紹介します。
※ヘッダーの画像は舞台版の『雨に唄えば』
Ⅰ.1929年~1940年
まずはミュージカル映画黎明期のシーンですが、ミュージカル映画はトーキー映画の誕生とともに生まれました。トーキー映画第一号の『ジャズ・シンガー』(1927)はミュージカル映画だったのです。
1.『ブロードウェイ・メロディー』(1929)
バックステージものの先駆的作品。MGMにとってのオール・トーキー映画第一号。この映画は大成功し1929年だけで50本ものミュージカル映画が製作されることになりました。
2.『ハリウッド・レヴィユー』(1929)
トーキーが誕生してまだ2年ほどのこの時期。さまざま映画会社が自社スター総出演を売り物にしたショウ(ストーリーがない)形式の作品を作ります。この作品はミュージカル映画の代名詞となるMGMスタジオがどこよりも先駆けて製作。ミュージカル映画史における最重要人物であるアーサー・フリードが作詞した「雨に唄えば」という曲は、この映画で使用されたことで以後MGMのテーマソングになりました。
3.『陽気な中尉さん』(1931)
お洒落で上品なラブコメディの数々で知られ、三谷幸喜にも大きく影響を与えたとされるエルンスト・ルビッチ監督のミュージカル映画。ミュージカル映画といってもいわゆるシネ・オペレッタといわれる類のもので、ヨーロッパで当時流行っていたコミカルで楽しい大衆向けオペラ、オペレッタを映画化したものです。今の感覚で見てみると正統のミュージカル映画よりもよっぽどミュージカルらしく見えます。
このシーンは、夫から愛されない若奥様に対して、まずは下着から軽やかで鮮やかなものにしなさい!ってアドバイスするシーン。まるでウィキッドの「ポピュラー」のシーンのような楽しさがありました。
4.『四十二番街』(1933)
1929年に『ブロードウェイ・メロディー』が大ヒットして以降、バックステージを舞台にしたミュージカル映画が量産されることになります。それらのなかでも最も成功した作品とされるのがこの作品。振付はバスビー・バークリー。バークレーショット(↓のようなアングルのショット)という言葉はこの映画が由来でした。
この映画の革新的な点は、映画でしかできない表現になっているというところです。決して舞台の客席からは見えない景色をカメラで捉える。そのようなことを初めて実現させたのが彼だったのです。
そしてバークリーは何より群舞演出の天才でもありました。今見てもなんら遜色のない素晴らしいシーンになっています。製作はワーナー・ブラザーズ。
5.『フットライト・パレード』(1933)
こちらもワーナー・ブラザーズがバスビー・バークリーを起用して製作したバックステージもののミュージカル映画。水上で行われる群舞は見ごたえ抜群。はっきり言ってウォーターボーイズの比じゃありません(そりゃそうか)。後半あらわになる舞台装置も見事です。
6.『空中レヴュー時代』(1933)
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースという名コンビの初共演作。製作はRKO。なんといってもこの飛行機の翼に体を固定させて群舞を見せるこのシーンがスリル満点で面白いです。
7.『コンチネンタル』(1934)
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビによる初主演作品。Night and dayというコール・ポーターによる名曲により二人が急接近するシーン。
8.『トップ・ハット』(1935)
名コンビであったジンジャー・ロジャース&フレッド・アステア主演映画の二作目にしてシリーズ最高傑作といわれている作品です。このシーンは『ララランド』のこのシーンの演出振付において監督のチャゼルが参考にしたことでも知られています。この名作トップ・ハットはこの他にも「Cheek to Cheek」など名シーン名曲が満載でとにかくミュージカル映画ファンなら一度は見ておきたい作品になっています。
9.『シュヴァリエの巴里っ子』(1935)
この作品はフランス生まれで当時のフランス製ミュージカル映画にも出演していたスター、モーリス・シュヴァリエのハリウッド主演映画。撮影自体はパリのミュージック・ホールで行われたという話です。かなりバークリーっぽさを感じるもののその豪華さは目を見張るものがあります。
10.『ゴールド・ディガース36年』(1935)
バズビー・バークリーが振付だけでなく初めて監督を手掛けた作品。もちろん製作はワーナー・ブラザーズ。大人数でのタップダンスがとにかく楽しいシーンになっています。そしてやはり画角が素晴らしい。
11.『踊るブロードウェイ』(1936)
ワーナーのゴールド・ディガース・シリーズに対抗してMGMが始めたのがブロードウェイ・メロディー・シリーズでした。タップダンスの女王と呼ばれたエリノア・パウエルの繊細で美しくそして華麗なタップと、雨に唄えばでおなじみの名曲たちが堪能できる名シリーズです。
12.『艦隊を追って』(1936)
RKOスタジオがフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビで制作した五作目のこの映画。ミュージカル映画では定番の「水兵もの」であるのですが、この水兵たちの群舞の前でフレッド・アステアが踊るこのシーンは特別素晴らしいです。。しかしやはりここまでの紹介してきたシーンと比べるとアステア個人の力というものがとても大きいことがわかります。
13.『巨星ジーグフェルド』(1936)
ブロードウェイ伝説の興行師ジーグフェルドの伝記映画であるこの作品。アカデミー作品賞を受賞。製作したのはさすがのあのMGM。
とにかく「織り込まれた数々のレビュウ・シーンの豪華さは従来のレヴュウ映画を瞠若たらしめるもの」と双葉十三郎氏に言わしめたこのシーンは必見です。
14.『踊らん哉』(1937)
クラシック・バレエとモダン・ジャズをうまく融合させたいと思っているダンサーが主人公。このシーンはその野望を見事実現させる場面。主演はフレッド・アステアとジンジャー・ロジャース。製作はRKO。
15.『大学祭り』(1937)
大学の学園祭のショウを演出するために母校に帰ってくるブロードウェイの演出家のお話。これも製作はワーナー・ブラザーズ。数百人もの若者が行進して、文字を作り、フットボールが飛び交うこのシーンの迫力はすさまじいものがあります。
16.『オズの魔法使』(1939)
ディズニーの『白雪姫』の大成功をうけ、子供向けのお伽噺に目をつけたMGMが製作したさすがの大作映画。カラーの映像と巨大なセット。とにかく豪華。
Ⅱ.1940年~1949年
1941年にアメリカは第二次世界大戦に参戦。以後、有名スターをそろえていながらも、歌とコミカルな寸劇だけのお粗末なストーリーのものが多くなっていきます。とはいえ、1944年にはハリウッドだけで80本ものミュージカル映画が作られ、その人気は「この時期こそ本当のミュージカル映画全盛期だ」といえるほどでした。
17.『踊るニューヨーク』(1940)
フレッド・アステアがRKOを離れMGMと契約して撮った最初の作品。MGMの人気シリーズ『ブロードウェイ・メロディ・シリーズ』の最終作でもあります。映画界随一のタップダンサーエリナー・パウエルと二人で踊るこのシーンは別格で、映画史上最も優れたタップダンスシーンだと言われています。音楽が消え無音になったあとの張りつめた空気のなかで行われるガチンコのタップダンスは死ぬまでに一度は見ておきたい名シーンです。
18.『ベイブス・オン・ブロードウェイ』(1941)
戦時中のアメリカで大変な人気を博した二人組ジュディ・ガーランド&ミッキー・ルーニーのコンビで製作されたいわゆる「裏庭ミュージカル」の三作目。監督はバズビー・バークリー。製作はアーサー・フリードMGM。楽しい音楽と凝った演出。低予算で少ない期間でこき使われ撮影されていたという当時のイメージをまったく思わせない楽しいシーンになっています。
19.『踊る結婚式』(1941)
コロムビア映画が製作した同社ではかつてない豪華なミュージカル映画。フレッド・アステアと踊るのは『ギルダ』で悪女を演じ、『ショーシャンクの空に』でポスターが登場したリタ・ヘイワース。30名もの女性がウェディングドレスで踊るのですが、踊る場所がウェディングケーキ上というのが驚きです。さらにそのウェディングケーキが戦車の形をしていますが、戦争の影響がこのようなかたちであらわれるところがミュージカル映画の面白いところだと思います。。
20.『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』(1942)
コーハンというブロードウェイの芸人兼作曲家がモデルの映画。星条旗を自分の旗印としていた芸人がルーズヴェルトから愛国者として勲章を貰うまでの成功をおさめるというストーリー。ワーナー・ブラザーズ製作の戦時愛国映画です。ギャング役者として有名だったジェームズ・キャグニーが(当時の客としては)驚きのミュージカルを見せてくれると評判でした。途中見せてくれる体操器具?を用いた群舞は見ていて楽しいです。
21.『ジス・イズ・ジ・アーミー』(1943)
出演者が全員兵隊。とにかく兵隊。出演者にはのちの大統領であるロナルド・レーガンも。第二次世界大戦下感が露骨すぎるが、とはいえシーンは豪華で見事な群舞となっています。製作はワーナー・ブラザーズです。
22.『世紀の女王』(1944)
水泳チャンピョンであったエスター・ウィリアムズ主演のいわゆる「水泳ミュージカル」。大きな舞台装置などすごいことになっています。この作品、水泳だけでなく当時の人気楽団や演奏者が数多く出演し、大変見ごたえそして聞きごたえのある作品となってます。
23.『若草の頃』(1944)
原題はMEET ME IN ST.LOUIS(セントルイスで会いましょう)。1904年に行われたセントルイス万博のテーマソングのタイトルと同じですが、この映画は万博を控えたセントルイスの裕福な中流家庭のドタバタ劇を愛と郷愁をもって描かれた作品です。このノスタルジーは戦争中のアメリカ人の心をわしづかみにして大ヒットしました。製作はMGM。主演はジュディ・ガーランド。
このシーンは万博の下見に行くシーン。華やかな衣装で華やかな化粧の人々が電車で大合唱。途中からはじまるジュディ・ガーランドのソロも素晴らしいです。
24.『アメリカ交響楽』(1945)
当時のミュージカル映画のドル箱企画といえば、作曲家や演出家の半生を描いた「伝記もの」。この作品はその「伝記もの」のなかでも特に大ヒットした作品です。
モデルとなっているのは今となってはクラシック作家としても有名でありながら、数多くのミュージカル楽曲を残した名作曲家ジョージ・ガーシュウィン。このシーンは彼の代表曲『ラプソディー・イン・ブルー』をまるっと5分間演奏する贅沢なシーンとなってます。
ミュージカルシーンの魅力は決してダンスや歌だけではないのです。
25.『錨を上げて』(1945)
当時としては最高の製作費がかけられたMGMのミュージカル映画。この映画で女性に積極的な軟派ジーン・ケリーと奥手でハニカミ屋なフランク・シナトラという定番キャラクターが確立しました。
この映画はやっぱりトム&ジェリーとジーン・ケリーの次元を越えたコラボダンスが素晴らしいのです。とはいえこちらのピアノシーンも見事といわざるをえません。
広大なステージに並ぶ大量のグランドピアノ。それらを弾く子供たち。連弾というレベルではありません。なかなかお目にかかることはできないシーンになっています。
26.『ジーグフェルド・フォーリーズ』(1946)
MGMのアーサー・フリードによって製作されたストーリーのない最後の純粋なレヴュー映画。大スターであるフレッド・アステアとジーン・ケリーの共演シーンも有名ですが、豪華といえばこちらのシーンも豪華です。
27.『グッド・ニューズ』(1947)
MGMのアーサー・フリードが優れたミュージカル映画プロデューサーであるという評価を確立させた作品。おてんば娘たちとハンサムボーイたちがおどる「大学生もの」のミュージカル映画。世界最高のショウというほどでもないし、というか真似できそうなところ(もちろんできない。というのもこのおてんば娘を演じる女性はMGMがめっちゃ頑張ってブロードウェイから引き抜いた一流ダンサーなのだ)が良いです。
28.『イースター・パレード』(1948)
ここまでくるとどれもこれもアーサー・フリードのMGMミュージカルがほとんどになってしまう印象。あちらでは毎年春にテレビ放送されるような説明不要の超人気作品で、日本でもAmazon Primeなどで簡単に見ることが可能です。
このシーンはやはり中盤のスローモーション演出。音楽の魅力と見事にマッチし鳥肌級のミュージカルシーンとなっています。
29.『私を野球につれてって』(1949)
アーサー・フリードMGMミュージカル。監督はバスビー・バークリーで振り付けはジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン。フランク・シナトラに水泳ミュージカルのエスター・ウィリアムズ、そしてジーン・ケリーが踊る。並ぶ名前がとんでもなく豪華な映画。『私をスキーに連れてって』のタイトルの元ネタはこれのテーマソングです。
30.『ブロードウェイのバークレー夫妻』(1949)
バークリーという俳優夫妻をモデルとした映画。アーサー・フリードのMGMミュージカル。フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの二人の映画になる予定でしたが、ジュディ・ガーランドが頻繁に休むため代役が立てられることに。それがかつてのRKO映画でおなじみのジンジャー・ロジャースだったので、伝説のコンビの奇跡の再会が実現しました。
31.『踊る大紐育』(1949)
おなじみアーサー・フリードのMGMミュージカル。ジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンが一緒に監督振付を行った最初の作品ですが、何が革新的かというとロケ撮影である点。本物のニューヨークでの町並みで撮影されたジーン・ケリーとフランク・シナトラたちの歌とダンスはまた違った意味で豪華そのものです。
このように戦間期を越えるとあっという間にアーサー・フリードの時代にになってしまったことがわかると思います。
Ⅲ.1950年~1959年
ここではミュージカル映画の時代というイメージの強い1950年代のシーンを続々紹介していきます。この時代は群舞の時代というよりかはスターの時代という側面の方がはるかに強いと思いますが、そのなかでも豪華なものをチョイスしたつもりです。本当にミュージカル映画豊作の年代でした。
32.『サマー・ストック』(1950)
MGMミュージカル。本当はジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーというかつての名コンビ再会のために企画された作品でしたが、ミッキー・ルーニーが拒否したため相手役はジーン・ケリーとなりました。
このシーンは、あまりに太り過ぎたジュディ・ガーランドが二か月間で20ポンド体重を落として撮影したシーン。あまりに素晴らしいので、このシーンのための映画だといって過言ではありません。
33.『恋愛準決勝戦』(1951)
スタンリー・ドーネン監督アーサー・フリード製作のMGMミュージカル映画。このシーンはなんといっても重力を無視して踊るフレッド・アステアが見どころ。公開当時はいったいどんなトリックを使って撮影されたのか考察合戦が盛り上がったらしいです。
34.『ショウ・ボート』(1951)
ショウ・ボートの一番人気スターが実は黒人の血が混ざっていることがわかって一座をやめさせられるというなど深刻な展開と重厚なストーリーが話題を呼んだブロードウェイミュージカルの名映画化。アーサー・フリード製作のMGMミュージカル。ショウ・ボートで色とりどりの人々が歌う映像は豪華そのものでした。
35.『巴里のアメリカ人』(1951)
票割れの結果アカデミー作品賞をとってしまったこの作品。これまたアーサー・フリード製作のMGMミュージカルですが、ジーン・ケリーは生涯この作品を自身の最高傑作だと思っていました。
なんといっても後半17分もの時間があるバレエダンスのシーンが豪華。撮影には一か月、54万ドルもの費用がかかりました。
36.『雨に唄えば』(1952)
アーサー・フリードミュージカル最高傑作である『雨に唄えば』。最初は懐かしいミュージカル音楽をふんだんに使った映画を作ろうという懐メロ企画でしたが、今ではもっとも人気のミュージカル映画になりました。しかしうっかり前年にパリのアメリカ人がアカデミー作品賞をとっちゃったのでこの作品はアカデミー賞はお預けとなることに。下の『雨に唄えば』を歌うシーンはあまりにも有名です。
このシーンで用いられているのはMGMミュージカル最初の大ヒットシリーズ『ブロードウェイ・メロディ』のテーマソング。とにかく豪華で楽しいシーンです。
37.『ラヴリー・トゥ・ルック・アット』(1952)
経営難に陥った服飾店を救うため大規模なファッションショーを企画するという映画。これもMGM。ピカピカ宝石などの飾りにお姫様のようなドレス。お台場のヴィーナスフォートのような場所で繰り広げられるファッションショーは眼福そのものです。まあ、ちょっと派手すぎるかも?
38.『イージー・トゥ・ラヴ』(1953)
水泳ミュージカルでおなじみのエスター・ウィリアムズ主演映画。製作はMGM。豪華な仕掛けが施された巨大な水空間。いったいどうやったらこんなシーンを撮ることができるのか気になります。
39.『紳士は金髪がお好き』(1953)
マリリン・モンロー初主演のミュージカル映画で、20世紀フォックス製作。金持ち男を狙う女性たちが豪華客船に乗り込み鉱山主とか金持ちを漁るのですが、テンワヤンヤで大騒ぎになるというストーリー。
40.『バンド・ワゴン』(1953)
アーサー・フリードMGMミュージカル。もとの原作はストーリーのないレヴューものでしたが、映画化にあたってストーリーがつけられました。このシーンは、もっとも洗練されたフィルム・ノワール(非道徳的なギャング映画)パロディであると言われているシーンでもあります。
41.『掠奪された7人の花嫁』(1954)
スタンリー・ドーネン監督のMGMミュージカル。山奥に住む山男7人兄弟が街におりて街の娘たちを7人誘拐して無理やり花嫁にするというストーリー。道徳上どうかという話はひとまず置いておいて、広い画面が効果的に使われた演出で見ていて飽きません。若者たちのダンスもクオリティが高く、狭い木の上でバク転したりとアクロバティックな技巧を見せてくれて存分に楽しませてくれます。
42.『スタア誕生』(1954)
MGMを解雇されどん底のジュディ・ガーランドが夫と自費を投じて製作した再起をかけた作品『スタア誕生』。製作したのはワーナー・ブラザーズ。赤系統に統一された衣装での群舞のなかでジュディ・ガーランドが圧倒的な歌唱を披露するこのシーンは圧巻です。
43.『ショウほど素敵な商売はない』(1954)
20世紀フォックス製作。ある芸人一家を描いたバックステージもの。「これほど賑やかな音楽映画はない」と双葉十三郎氏に言わしめるほどの映画。マリリン・モンローはじめ当時のスターが総出演しています。
44.『いつも上天気』(1955)
ブロードウェイをローラースケートで踊るジーン・ケリー。アーサー・フリードMGMミュージカルで、『踊る大紐育』の続編として製作されました。この華麗なシーンは名作映画『レオン』でも使用されました。
45.『王様と私』(1956)
タイの王様の子供たちや妻たちに英語を教える家庭教師として呼ばれたイギリスの女性が悪戦苦闘するというストーリー。製作は20世紀フォックス。大ヒットミュージカルの映画化で、今見てもなかなか含蓄のある物語になっています。このシーンで使われる「シャルウィーダンス」という曲は日本でもとっても有名です。
46.『舞踏への招待』(1956)
会話が一切ないひたすらバレエの映画。ジーン・ケリーがなんとかいろんな人にバレエに興味を持ってもらおうとMGMで製作した作品。興行的には大失敗でしたが、このアニメーションの女性と踊るシーンは今見ると中々趣深いものになっています。
47.『上流社会』(1956)
フランク・シナトラとモナコ王妃のグレイス・ケリーが歌い踊るシーン。群舞も舞台装置もないシーンですが豪華なシーンであることは間違いがありません。製作はMGM。
48.『パリの恋人』(1957)
スタンリー・ドーネン監督、製作はパラマウント。製作がパラマウントなのはオードリー・ヘップバーンもフレッド・アステアも当時はパラマウントと契約していたからです。しかしスタンリー・ドーネンはMGM、ガーシュインの楽曲はワーナー・ブラザーズが権利を持っていたので結果的に各会社が協力して作ることになりました。
このシーンの見どころはウェディングドレス姿のオードリー・ヘップバーンの生歌。ちなみに50年代後半にもなるとミュージカル映画の流行りは変化し、バレエ系の上品なダンスがたくさん見られるようになりました。豪華といえば群舞と舞台装置の時代は終わってしまったのです。
49.『監獄ロック』(1957)
ミュージカル俳優史上もっとも成功したミュージシャン、エルビス・プレスリーの代表曲でありながら代表作である「監獄ロック」。そのなかでも特に有名なエネルギッシュなバンドサウンドのなかで踊る画期的なシーン。この映画の記録的なヒットはミュージカル映画史にひとつの転換点が来ていたことを世に知らしめました。
50.『五つの銅貨』(1959)
人気ジャズトランペット奏者のレッド・ニコルズの伝記映画。この本物のルイ・アームストロングとセッションするシーンはなかなかの見どころです、ミュージカル映画かといわれると見解が分かれるところだと思われます。
(2)ここまで見てきて
古典ミュージカル映画とよばれるような作品についてひとまず50本のミュージカルシーンを紹介してきました。こうして眺めてみると、
・ワーナー・ブラザーズのバークリー演出の群舞シーン
・RKOのフレッド・アステアの超技巧ダンスシーン
・MGMの豪華舞台装置シーン
・アーサー・フリード製作の楽しいミュージカルシーン
など一口に古典ミュージカル映画といってもさまざまなものがあることがわかります。また、タップダンスや群舞中心の演出からのバレエ中心の演出に移り変わる様も見てとれるかもしえません。
次の記事では1960年代以降のミュージカル映画のシーンを紹介していきます。是非見てみてください。
(今はこっちで執筆してます)
筆者:とび
学生映画企画『追想メランコリア』の脚本担当。一橋大学社会学部卒業。
入社まであとわずか。
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