見出し画像

『ダンス・ウィズ・ミー』はミュージカルとは何かを教えてくれる最高の映画だ!!

 『ダンス・ウィズ・ミー』(2019)という邦画を見たので、今日はその感想についてネタバレをできるだけせず書きたいと思います。監督は『ハッピーフライト』や『サバイバルファミリー』で有名な矢口監督です。いつもハッピーなエンディングで終わらせてくれる最高な監督なので期待大というところなんですが、

 まず、予告編を見ていただけるとわかると思うんですが、これなんとミュージカル映画なんですね。それで肝心のあらすじはというと、

ミュージカル嫌いの静香だったが、ある催眠術師により音楽がかかると感情を歌とダンスで表現する催眠術をかけられてしまう。そのせいで仕事はできなくなり、恋人とも別れざるを得ない状況に。静香は元に戻るため、逃亡した催眠術師を探しに旅に出る(ダンス・ウィズ・ミー:Wikipedia)

 わかりますか? これ、めちゃくちゃ見るの不安だったんですよ。というのもまず気になるのが、音楽がかかると踊らずにいられないっていうこの設定。あとで詳しく理由を説明するんですが、これめちゃくちゃもやもやしませんか? 僕はもやもやしました。ほかにも不安要素はあります。だっていきなり予告編の最初でミュージカルへのディスリを入れてくるんですよ。

画像1

画像2

 これってつまりミュージカル映画を思いっきりパロディしますってことです。ミュージカル映画として見るにはまったく期待できないということになります。ということなので映画館で上映されているときは一切見ようとも思わなかったのですが、今回DVDを借りてみました。結果としてめちゃくちゃ面白かったです。でも前半はしんどかった。それはなんでか。

1.設定そもそもおかしくない?

 なぜ、音楽がかかると踊らずにいられないという設定にもやもやしたのか? これは、ミュージカル映画の楽しみ方と真っ向からぶつかってしまうからなんです。

 この記事にも書いたんですが、ミュージカル映画の楽しさっていうのはつまりミュージカルシーンのことなんです。でもこの設定だと、催眠によって嫌々踊らされている主人公のシーン以外のミュージカルシーンが作れなくなってしまうんです。

 じゃあそんなシーンを見て楽しいのか? ミュージカル映画のミュージカルシーンがなんで見ていて楽しいのかって、踊っている人も楽しんで踊っているからじゃないかって思うんです。なんで歌に心動かされるかっていったら、歌そのものが歌っている人の感情を表現したものだからだと思うんです。だからやっぱり嫌々踊らされている人の映像を見せられても実際そこまで楽しくはないんです。

 あと、見た人はわかると思うんですが前半、ミュージカルシーンがもう見ていて恥ずかしいんですよね。見てるこっちまで恥ずかしくなってしまう。これは原因ははっきりしていて、主人公が踊ったり歌ったりしたあとにめちゃくちゃ恥ずかしそうな、「やっちまったなあ」みたいな顔をするんです。

 僕ら観客は主人公に感情移入するというか、主人公の立場から物語を追うことになるので、当然その主人公の恥ずかしさも受け入れなきゃいけない。これが結構しんどい。

 しかも、そもそもこの映画って催眠を解くために催眠術師を探すロードムービーとしてできてるんです。じゃあなんで催眠を解きたいかっていったら、歌って踊るのが恥ずかしいしやめたいからじゃないですか。そこをいったん引き受けないと観客としてもストーリーを追うことができないので、どうしてもその羞恥心から逃れることはできない。これじゃあ、面白いミュージカル映画になりそうもない。

 もちろんこの設定には良いところもあって、なんで登場人物が歌って踊るのか? の説明が一切不要になるんです。これは今までミュージカル映画を敬遠していたような人からしたらプラスポイントであることは間違いないんですが、やっぱり僕は失うものが多すぎるんじゃないかなって思ってしまったんです。だって、なんで歌って踊るのかを説明できるようにしたいだけなのであれば、主人公を合唱団の一員にすればいいだけですから。

 ちなみに、催眠術で歌を歌い出してしまうという設定のミュージカルシーンならすでにそういう映画が1948年に作られてます。

このときはジーン・ケリーが旅回りのマジシャンでジュディ・ガーランドが歌わされる役でした。でも、このときは催眠が覚めることによって踊ったり歌ったりしたときの記憶が消えるという設定のおかげで必要以上に羞恥心を感じずにすんだんです。

2.そもそもミュージカル映画ってそんなんだっけ?

 次に違和感を持ったのはミュージカルシーン。

 気になっている男性とついにお食事ができたが、バンド演奏が始まってしまって例によって踊り出してしまうというというこのシーン。もうとにかくノリノリでレストランを踊りまくるんですが。。。

 でもこれ本当に彼女がミュージカル映画の登場人物だったらどうだったか考えてほしいんですが、まあこんな風には踊らないですよね。もし踊るとしても、気になっている彼を誘って一緒踊るというのが普通です。こんな風に。

 ましてや、シャンデリアにぶら下がって踊るなんて支離滅裂としか言いようがないです。なんでそんな踊りになっちゃうのか? ほかにいくらでもダンスは種類あるじゃん。って聞いたらたぶん誰も説明できない気がします。だからイマイチミュージカル映画をパロディしてますと言われてもピンと来ないんです。

 ちなみに、このミュージカルをパロディしてるようにみえて実はできてない問題は他の作品にもいえることで、これは大根監督の『モテキ』っていうテレビドラマでミュージカルがパロディされたシーンなのですが。

 これも結構、ミュージカル映画あるあるっぽく見えてそんなにあるあるになりえてません。なぜかというと、

 普通、心の浮わつきを表現するときは、本物のミュージカル映画だとその登場人物の喜びを際立たせるために他の人たちにわざと冷ややかな視線を浴びさせるんです。これとか『雨に唄えば』のジーン・ケリーもそうで、彼だって警察官から変な人扱いされてました。少なくとも雨の中で踊ってるジーン・ケリーの周りに人がわらわら集まってくるということはなかったはずです。

 もし本当のミュージカル映画パロディならミュージカル映画らしく冷ややかな第三者を入れるはずですから、やっぱり『モテキ』も完全なミュージカル映画のパロディにはなりえてないんです。じゃあ、なんで日本のミュージカルパロディはああなってしまうのか。僕にはひとつ心当たりがあるんです。

 これです。まさにこれなんですよ。そうです。”フラッシュモブ”です。こいつなんです。『ダンス・ウィズ・ミー』も、『モテキ』も、なんでか日本人がミュージカル映画っぽいものを撮ろうとするとフラッシュモブをそのまま撮っちゃうんです。

(ケータイ刑事シリーズの映画版とかも今見るとフラッシュモブだ)

3.フラッシュモブとミュージカル問題

 この問題の何が厄介かというと、ミュージカル映画にもたくさんフラッシュモブ的なシーンがあるからです。さっきの”Another day of sun”にしても非常にフラッシュモブ的ですし、たとえば、

 ハイスクールミュージカルのこれなんかもめっちゃフラッシュモブ。だからたぶん混同しがちになっちゃうし、もし、仲間内とかでミュージカル映画のパロディ映像を撮ろうって話になったらまずフラッシュモブ的なシーンを選んだ方が絶対楽しいですから、必然的にフラッシュモブ的なミュージカルパロディは増えがちなんだと思います。でもこれが結構違うんです。それをわかってもらうためにも、このへんで話を『ダンス・ウィズ・ミー』に戻します。

 冷静に考えてみたら『ダンス・ウィズ・ミー』の音楽が流れてきたら体が勝手に踊りだすっていう設定はミュージカル的というよりかはフラッシュモブ的な設定じゃないでしょうか? だって、フラッシュモブにおけるパフォーマーの演じる設定っていうのは音楽が流れてきたから体が勝手に動き出してしまった街の人ですよね。これ完全に『ダンス・ウィズ・ミー』の例の設定だと思うんです。(ミュージカル的な設定にするならたぶん感情が高ぶったときに歌ったり踊ったりしてしまう体になるって設定じゃないとおかしい気がします)

 『ダンス・ウィズ・ミー』の前半が、ミュージカルのパロディじゃなくて、フラッシュモブのパロディならいろんなことが理解できるようになります。だって観客のない一人フラッシュモブなんて恥ずかしいに決まってるじゃないですか? 

 こんなん誰もやりたがりませんし、ましてや滑るの確定ならなおさらです。もちろん、たとえ、本当にミュージカルが大好きな人であってもその気持ちは変わらないんですよね。っていうか、

本当にミュージカルをやりたいのであれば、それこそ催眠を解いてもらわなくちゃいけないんです。解かれないといつまでもフラッシュモブのモブですから。

画像3

 そう考えると、ミュージカル映画ってこんなんだっけ?問題が実はそこまで問題じゃないということがわかるんです。だってそもそもミュージカル映画のパロディなんてしてなかったんです。してたのはフラッシュモブのパロディだったのですから。では、後半はどうなるのか?

4.フラッシュモブから本当のミュージカルへ

  この映画、後半になってようやくロードムービーが始まります。それまでは催眠術師を探しに行くというよりかは、いろいろその催眠によって困ってしまい本当に追い込まれるという描写をしたんですね。いよいよ追い込まれてしまいもうどこまでも探すしかないと旅に出る展開。ここからがとにかく面白いんです。

 見てくださいこのシーン。王道のミュージカルシーンになってるんです。パフォーマーがいて観客がいて、そこには楽しさが共有されています。このシーンこそ本当に見ていて楽しい。

 でも、これこそむしろミュージカルじゃないんじゃないか? と思われる人もいるかもしれません。でも昔のミュージカル映画は登場人物がこういう旅芸人みたいなことをすることは非常に多かったんです。

 最初の方に紹介した『踊る海賊』で催眠術で無理やり歌わされたジュディ・ガーランドも最終的には人を楽しませるために歌うことになります。これがミュージカルなんです。

 まとめると、この映画では主人公が一人フラッシュモブとミュージカルの違いにどんどん気づいていくという構造にもなっているんです。最初、一人フラッシュモブは彼女にとっては苦痛でしかありませんでした。それはまさに彼女の嫌いな突然意味なく踊りだす恥ずかしいアレでしかなかったのですから。 

 では、いったん彼女が本当のミュージカルを知ってしまったとしたらどうでしょうか? 彼女はそれを楽しむことができるのでしょうか? ではそれを見ている私たちは前半のように恥ずかしさを感じるでしょうか? 

 この映画は矢口監督がミュージカル映画が苦手な人にも楽しめる作品にしようと考えて作られています。その過程での気づきがこの映画に構造として無意識に現れているのではないでしょうか。

 ちなみにロードムービーのくだりはいつもの矢口監督で本当に面白いですし、本当に綺麗に終わります。催眠術師との追いかけっこ。その過程での仲間とのドタバタは本当にさすがとしか言いようがありません。本当に面白かった。

 はたして、催眠術師をつかまえることはできるのか? 催眠は解けるのか? 是非鑑賞していただければと思います。それこそミュージカル映画が好きな人こそ。


5.おまけ

 にしてもなんでここまでミュージカル映画のイメージがフラッシュモブになってしまったのかって僕はなんとなくハイスクールミュージカルのイメージが強いからなんじゃないかなと思うんです。

 でも、こういう卒業式は憧れるなあ。

(今はこっちで執筆してます)

筆者:とび
学生映画企画『追想メランコリア』の脚本担当。一橋大学社会学部四年。
無事卒業しました。文章力欲しい。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わさせていただきます!