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先週から履歴書を書いたり、課題を書いたりしている。受かると思っていないような会社なので、頑張って書いたのに落ちたら末代まで呪ってしまうからそこそこに…と思っていても気にしいな性格だからちゃんと書いてしまった。

落ちてもnoteで投稿すればいいしな、と思えた。自己愛が強すぎて、丹精込めて書いたものが審査から落ちるとムキ―!っとなってしまう。ここを墓場としている。墓があってよかった。

書くのは好きだけど履歴書や職務経歴書の類は嫌だね。

本当に何になるのだろうか。家から出たくないからフリーランスになりたいと思っていたのに、調べれば調べるほど自分にできるわけないと思う。営業力なんて持ち合わせていない。やってもないのに失敗して落ち込むのが恐ろしくて何もできない。結局2度と関わりたくないと思っていた会社というコミュニティに自ら近づいている。

あと何時間だとカウントダウンするのではなく、気付いたら退勤時間という職場がいい。バイト先の映画館がそうだから。

面接で落ちるたびにその場所ごと嫌いになってしまうので、人生って行きたくない場所を増やしているのと同義だよなと思う。だから私は東京が嫌いなんだろう。

人生において成功体験があまりにも少ない。中学受験も大学受験も第一志望に受かっていない。自動車の仮免試験も1回落ちている。もちろん就職試験も受かったことがない。

当時を思い返すと別に頑張っていないわけではないのだ。むしろ頑張っているのに頭が悪い、最も大人泣かせの子どもだった。1日も欠かさず問題集を解いたし、1日も欠かさず登下校は勉強していた。ならばなぜアホだったのか、今なら分かるのだが考えて解いてなかったからだ。「そういうもの」みたいに捉えていた。

高3のとき日本史の問題で「○○はすべて××だ」みたいな選択肢があった。全部そうなんてあるわけないやろ、とそこで思うようになった。ただ気付くのが遅い。これを全教科で適応できてればもしかしたら第一志望に受かっていたのかなと思う。

考えるのが苦手だから意訳もできないのだ。英語の長文読解はきっと正確に読むんじゃなくて、自分で解釈して全貌を掴む力だったんだと思う。

浪人してでも第一志望の学校に行っていれば自分は目標を達成できる人間なんだ、という自信を持ってどんな困難にも立ち向かえる人間になれていたのだろうか。

恋愛もそうだった。自分が傷つくのが嫌で何もしてこなかった。困難に立ち向かえない。本当にインサイドヘッドのかなしみ~可愛くないバージョン~みたいな人間だ。

そう考えると苦しいことから逃げ続けてきた人生だ。そのくせ人を羨ましがる気持ちは人並み以上に持ち合わせている。正しい努力ができないにもかかわらず、身の丈に合った生活で満足できないのだ。そして破滅破滅破滅。

とにかく考える癖が大切だというお話です。

元より人間は思い通りに生活できるものではない。愛する人には愛されず、欲する物は我が手に入らず、手の中の玉は逃げだし、希望の多くは仇夢で、人間の現実は概ねかくの如き卑小きわまるものである。けれども、ともかく、希求の実現に努力するところに人間の生活があるのであり、夢は常にくずれるけれども、諦めや慟哭は、くずれ行く夢自体の事実の上に在り得るので、思惟として独立に存するものではない。人間は先ず何よりも生活しなければならないもので、生活自体が考えるとき、始めて思想に肉体が宿る。生活自体が考えて、常に新たな発見と、それ自体の展開をもたらしてくれる。この誠実な苦悩と展開が常識的に悪であり堕落であっても、それを意とするには及ばない。

坂口安吾「デカダン文学論」


自分のやるせなさも希望があった上での感情だと思うようにしよう。宿れよ思想に肉体!


部屋で踊りたいからスピーカーを買おう。それかいっそレコードプレーヤー。スピッツの「空の飛び方」のLPなんか買っちゃったりしてさ。ワクワクだ。


学生のとき図書館で借りたこれ読みたいな。心の中でスタンディングオベーションした記憶がある。明治編も読んだという記憶はあるのに、収録作品見たらはて…?って感じだった。昭和篇は読んでいないと思う。あまりに記憶にないから。

椎の若葉に光りあれ、僕はどこに光りと熱とを求めてさまようべきなんだろうか。我輩の葉は最早朽ちかけているのだが、親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾部分かを僕に恵め。

葛西善蔵「椎の若葉」


これ読んだとき悶えるほどよかった。今読んでも悶える。やっぱり変わっていない。広津和郎「師崎行」、有島武郎「小さき者へ」もよかったというメモが残っている。明治篇の志賀直哉「剃刀」も今でも結末は覚えているなあ。

バイトの帰り道にBOOKOFFがあって、本を読み終わったら何とはなしによく入る。だからどうしてもメジャーな作品ばかり買ってしまうんだよなあ。別に悪いことじゃないけど日本近代短篇小説選なんて1回も見たことない。本当に読みたいものを選べていないのかもな。

でも三島由紀夫の「春の雪」を買ったときに歌が書いてあって、それがすごい嬉しかったことはある。しかも名古屋から三重に向かう旅行で気付いたのです。季節も春!シチュエーションも込みでよい思い出。一人旅で顔も知らない人を感じ、その人の所有していた本を読んでいる。

位置情報が近鉄四日市なのも嬉しい


本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて暮らすことが私の理想です。それをするために働きましょうね……。

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