"普通"とは / "二木先生"より
変わった奴、捻くれ者、癖者、って。
自分の経験と重なると同時に襲ってくる哀しさ、あとやっぱり自分は多数派じゃないって事を再認識させられた。
小さい頃から、まわりの人には、口だけは達者だとか、ああ言えばこう言うとか、自分が意見をすればそう片付けられる事が多かった。今も、すんなり共感されることはほとんど無い、もしくは、そーゆーの良いってって今にも言いたそうな顔をされる。生き辛いけど、これは多数派と少数派という言葉と概念が存在する限りうまく共存しなければいけないとも思う。でも多分、自分はその共存は下手だと思う。今までの人生で100%素の自分を見せた事があるのか無いのか、自分でもわからないほど、とにかく相手に合わせる方法をとって、自分が多数派であろうと必死だった。今もかもしれない。正直、死ぬまでこれと付き合うのは辛いしつまらない。でも、自分を偽りで塗り固めきるとかもっと無理すぎる。
小学生の頃は、とにかくおちゃらけて自分のおもしろさを表現したくてたまらないガキだった。中学生にあがっても、小学生の時に感じた高揚感を忘れられずに、みんなの中心にいる事が好きだったし、今ではある種自分を認めてあげられる手段だったようにも感じる。高校に入って個性や自分の意見は時に邪魔になる事を知った。多くのことー英語や政治のように硬いものももちろんだが、雑学やライフハックなんかのような一見くだらないものもだーに興味を持った。そのせいかおかげか、自分の会話や意見にはどこかめんどくさい印象を持たれ始めた。もちろん自分は相手を不快にしようなんて思ったことはない。でもみんなそんな深い話をしたいなんてはなから思ってなかったのを気付けなかった。
「でた〜、お前の語り癖www」
「めんどくさぁw」
「合わないわ」
って、鼻で笑われることが増えた。それが増える度にこれはいらない個性なのかもと自覚するようになった。そこから相手に合わせる性格に拍車がかかった。それが良いか悪いかは分からない。でもみんなとの乖離が可視化できる状況が耐えられなかった。個性を殺して"普通"でいればうまく渡り歩ける気がした。でも今思えば高校生活の3年間で居心地は良くなかったのだろう。自分がアメリカに進学した理由はそんなようなことではまったくもってない。だが、潜在意識のなかに組み込まれた可能性は今でも否めない。
アメリカで自分の個性を出せるようになったか、に対する答えはNOだ。これはまた今度書こうとおもう。でも、自分を見つめ直すきっかけを掴めたことは確かだ。
今夏休みで一時帰国をし、母国日本で、小説「二木先生」を読んだおかげで、諦めずにもう少しだけ自分を見つめてみれそうかも。あと自分をもう少し尊重できるかも。だって、今後生きていれば自分と同じような"変な奴"に出会えるかもしれないし。そして同時にこんな極端な選択肢しか持てていなかった自分を少し責めた。そうしたら少しだけ息がしやすくなった。