Vol.3 『水なし印刷』って環境に良いの?


Vol.3では水なし印刷と環境との関係を書く予定でしたが、水なし印刷が環境に良いと言うことがわかったのは水なし印刷が導入されてから15年近く後の話となるので、その15年間の私の営業時代~バブル崩壊期のお話に脱線させていただきます。
私の営業時代はまさにバブルの絶頂期、当時、会社のあった目黒区から新宿に移動するだけで車で1時間以上要し、毎日大渋滞の東京都内を駆けずり回るのが日常でした。印刷営業の仕事と言っても当時は営業窓口と生産管理もごちゃまぜのようなお仕事でしたので、『お仕事ください!』なんて言った記憶はなく、『この仕事○月○日の○時までに刷れますか?』とお客様から自動的に仕事が入ってくる時代でした。やることは納期交渉と順番整理ぐらいで常に時間に追いかけられているのが強く印象に残っています。
ただ我々は基本、印刷専門の下請け業務でしたので、きれいな印刷物を期日まで印刷しお届けするという、ちゃんとやって当たり前、ちょっとでもミスがあったり、納期が間に合わなかったりすると、刷り直しや検品に追われる下請けの典型的なお仕事でした。
深夜に原稿をもらいに行き、早朝には印刷した見本を届けるような毎日で
昼食はコンビニのおにぎりを食べながら運転し、刷り取り(印刷の見本)や製品の見本をお客様にお届けし、夕方戻ると下版作業に追われる毎日でした。
当時の印刷工程は版下と言われる印刷原稿をデザイナーや、クリエイターの方からいただき(たいてい夕方)、そして原版と言われる製版フィルムを作り、一度か二度試し刷りの校正というものを発注者やデザイナーにお届けすることの繰り返し、納得の行く出来上がりになるまで通常は1~2回ですが要求度の高い品質のものは3回~5回となることも、、、その後、最終OKが出た段階で『下版』となり、その後『刷版』(版に焼き付ける仕事)→『印刷』→『製本』という工程を経るために社内の伝票は八枚の感圧紙が綴られている分厚い伝票
下敷きを引き八枚に一気に記入しますが、相当力を入れないと下まで写りません。当時の印刷会社だけではないと思いますが、分厚い伝票への記入は営業マンの重労働でした。特に私は『利き手の中指の第一関節脇』にはペンダコというタコができ、30年以上経った現在でも未だ消えない指を見ると『昔』という今で言う『エモい』感覚になります。
今、思い返してみると『単に時間に追われている』状況だったバブル期はあっという間に過ぎ、その後じわじわとバブル崩壊が始まっていきました。今、あのバブル期を想い出しても、総てが狂乱の時代だったようにも思えますし、当時は自分も狂っていたのかもしくは『単に目の前の仕事に追われていて、他に考える余裕がなかっただけなのか?』
ただただ、懐かしい時代に思えてしまいます。
恐らく、私の一生の中で一番慌ただしい時代であり、一番楽しい時代だったかも知れません。
しかし、このバブル期間~バブル崩壊までの時代には『水なし印刷』を売るとか、水なし印刷を顧客から要望されるようなことは一切なく、単に自社の生産性を上げるため、経験の無い若いオペレータを育てるのに『水なし印刷』を活用していただけで、あくまで生産現場に必要な技術だったのだと思います
さらに脱線する話になりますが、
時は平成に入った頃、弊社はバブル絶頂期の最高額で大田区久が原の準工業地域に新工場を建設し、新型の三菱重工製菊全4色水なし専用印刷機を2台新設しその後、工場を増設し、5色機、両面8色機など、設備投資を繰り返しておりました。
ちょうどその頃、30歳にして新しく社長という立場を与えられた瞬間から
どんなことをしても売上の死守と利益の確保と、借金の返済という現実に向き合うこととなり、目先の数字にだけに追われて長期ビジョンなど、考えることから逃げてしまった自分がいて、同時にバブル崩壊という時代に入っていきました。
ワカ(バカ?)社長となった私の頭には
このままだと淘汰されるのでは?という不安と護送船団からオンリーワンと独自性を如何に伸ばせるか?というのが印刷会社の生き残るために必要なことと考え、如何に弊社独自のサービスを確立するかが経営の課題だと思っていましたが、この時点においても『水なし印刷』を売りにする発想や、競争力になるものとは考えられずに、ただただ目先の売上と利益の追求だけをしていくうちに、『水なし印刷』は当時よりトラブルが多く、コストも高いこともあり、『水なしをやめようか!』という議論も常にあり、先代社長(当時は会長)と毎日大喧嘩していたことが強く印象に残っています。
当時は莫大な借金とバブル崩壊により土地の下落に先が見えない状況の中、印刷業の経営を任されたことを『ハメられた』という被害者妄想のような感覚に陥り、『自分のようなバカ社長が果たして、やっていけるのか?』という不安に悩まされた時期でもありました。しかし、『不景気に強い印刷業?』のおかげということもあり、単価の下落、得意先の倒産や、得意先の業態変革もどんどん進む中、最新の印刷機の設備投資機会があり、高生産である両面機(水なし印刷と相性の良い)の導入と同時にその頃は急激に印刷技術がコンピュータの発達によりDTP化されている時代でもあり、イメージセッターという製版フイルムがデジタル化され、その後はCTP(コンピュータ トウ プレート)という原稿データから直接印刷版に出力が可能になる技術が発展することにより、工程が簡略化され、コストダウンができ、収益性はなんとか保つことができ、どうにか経営は成り立っていました。
また、当時ドイツの印刷会社や、アメリカの印刷会社の見学研修を繰り返していた時、あまりにも日本の印刷産業の社会的地位の低さに愕然としたことを記憶しています。
お仕事をいただくために、ひれ伏して営業していた自分に対して、欧州やアメリカでは自信とプライドを持ち根本から、考え方の違いを見せつけられたような気分で帰国したことを記憶しています。『この違いはなんなんだ!』という想いを持っていろんな業界人の方と討論したり、情報収集すると日本の独自の印刷産業の文化のようなものが見えてきました。
本来『水なし印刷と環境の話をするはずでしたが、この環境の話にはいる前の話に脱線し、長文になってしまいました。
本題はVol.4に持ち越しとします。文書構成がうまくできず大変申し訳ありません。

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