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幼少期から第二言語を学ぶべきか


読み方

忙しい方:本題だけでもお読みいただけると嬉しいです。
ざっくばらんに内容を把握したい方:まとめ①②③→本題の順でお読みください
じっくり内容を把握したい方:全文お読みください

はじめに

 昨今、SNSで「英語がペラペラになる方法」を唱える方や子どもに英語を学ばせることを推奨している方々がいます。また、そのような推奨に対して応えるようなコンテンツを発信している企業や組織もたくさんあります。例えば、「こどもの聞き流しにぴったり」というタイトルで投稿した動画や「生まれも育ちも日本なのにネイティブ級の英語力を持った兄弟」と称したものなどがあります。
 では、幼少期から子どもに英語を学ばせることは意義があるのでしょうか。

「言語能力」は2つに分けられる

BICSとCALP

 言語能力には、BICS(=basic interparsonal communicative skils:生活言語能力)とCALP(cognitive academic language proficiency:学習言語能力)があります。前者は、日常会話など生活場面で使われるもので文脈依存度が高く脳への負担は少ないです。また、習得にかかる時間は1-2年とされています。対して、後者は学習する時に使う言語能力で文脈依存度が低く脳へ強い負荷がかかります。習得にかかる時間は5-6年とされています。

二言語基底共有仮説

 このうち、学習言語能力は母語と第二言語で一部が共有されているという説があります。これを二言語基底共有仮説といいます。この仮説では、抽象概念が転移する他、母語の概念的な読解スキルも転移します。

ここまでのまとめ①:第二言語を学ぶときこそ母語を学ぶべき

 ここまで、言語能力の分類と、CALPは言語間で共有していることを述べました。ここからいえることは、「第二言語だけでなく母語も積極的に学ぶべき」ということです、母語、特に母語の学習言語能力を大事にすることで第二言語の習得にもいきるので、母語知識は身につけるに越したことはありません。

バイリンガルは手放しで喜べるものではない

バイリンガルの定義について

 「バイリンガル」といっても、様々な分け方があります。文化への参加で区別したり、スキルごとの到達度で区別したりするものがあります。しかし、ここでは言語の発達をトピックとしたいため、カミンズの唱える閾仮説による分類を参照します。

閾仮説とは

 閾仮説とは、母語と第二言語のそれぞれの到達度が年齢相応であるかどうかという閾を超えているかをバイリンガルの判断基準とするものです。例えば、母語と第二言語の両方が閾を超えている場合、母語のみが超えている場合、どちらの言語も超えていない場合があります。

閾仮説を用いたバイリンガルの分類

 閾仮説によって分類できるバイリンガルは3種類あります。まず、母語と第二言語の両方が閾を超えている場合「バランスバイリンガル」と言います。次に、母語のみが閾を超えている場合「ドミナントバイリンガル」と言います。最後にどちらの言語も閾を超えていないとき「ダブルリミテッドバイリンガル」と言います。

バイリンガルの知的影響

 バランスバイリンガルは知的にプラスの影響があるとされています。これは二言語基底共有仮説から説明でき、両言語で高い能力を有していれば、それぞれが共有されるのでこれは至極当然のことと言えます。対して、ダブルリミテッドバイリンガルは知的にマイナスの影響があるとされています。カミンズがいうところによれば、ダブルリミテッドバイリンガルは学業不振になりがちだそうです。これもよくよく考えたら納得のいく話で、両言語で学習言語能力が未発達であると、授業の内容が理解できないので当然の結果と言えます。

ここまでのまとめ②:母語発達を考慮した第二言語習得が必要

 バイリンガルにはバランスバイリンガル、ドミナントバイリンガル、ダブルリミテッドバイリンガルがあり、バランスバイリンガルは両言語が年齢相応に発達していて知的に+の影響があるのに対して、ダブルリミテッドバイリンガルは両言語が年齢相応に発達していなく、知的に-の影響があることをここまで述べました。母語が未発達で第二言語を学んで、母語と第二言語の両方が閾を超えなかった場合、子どもが生活するうえでの負担は大きなものになります。ですので、無条件に第二言語を学ばせるリスクを鑑みて、母語発達にこそ注意深く配慮して第二言語を学ぶべきです。

環境面と本人のモチベーションの重要性

イマ―ジョン教育からの視点

 クラッシェンのインプット仮説¹をもとに、カナダでイマ―ジョン教育が行われました。イマ―ジョン教育というのは、学習言語で様々なことを学ぶ教育のことです。結果として、学習者は文法的な正確性と社会言語能力の点で課題があることが明らかになりました。(このことから、スウェインがアウトプット仮説を唱えることになりますが、ここでは割愛します。)筆者がここで言いたいのは、バイリンガル教育は難しいという事です。

¹言語習得は、理解可能なインプットより少し高いレベルのインプットi+1によっておこるという考え

言語習得における個人差という視点

 言語習得には、個人差として年齢、動機づけ、適性、学習者タイプが表れます。ここでは、年齢と動機づけにフォーカスしてお話します。
 このうち、年齢は臨界期仮説として世間一般で幼少期に言語を学ばせる根拠とされます。しかし、年齢が上がるにつれて言語習得が困難になることは多くの研究者で意見が一致しているのに対して、その要因について、また要因が臨界期だとして臨界期がいつなのかについては明らかになっていません。加えて、学習言語能力は母語知識が転移するので、大人になってから習得した方がいいという報告もあります。
 動機づけは、道具的動機づけ統合的動機づけがあります。動機づけというのは、「テストでいい点数がとりたい」「学んだ言語を使って仕事に生かしたい」といった、言語を使って自身の持つ欲求を満たしたいという動機づけです。対して、統合的動機づけというのは、目標言語が話されている国や地域の文化に参加したい、また好印象を持っている国や地域の文化に共感してそこに住む人たちのように振舞いたいという動機づけです。前者と後者を比較した研究では、短期的には前者の方が成果が見られたが、長期的に見たら、後者の方が重要である、としています。

ここまでのまとめ③:学習環境と「本人がやりたがっているか」

 ここまで、イマ―ジョン教育の事例と年齢要因、動機づけについて述べました。イマ―ジョン教育は文法的正確性と社会言語能力の面で課題が見つかり、筆者は徹底した環境づくりをしてもなお、バイリンガル教育は困難を伴うんだ、と解釈しました。
 また、年齢要因はいまだ明らかになっていないことも多く、「必ずしも幼少期に学ぶべき根拠」にはなりえないと考えます。加えて、動機づけは「学習者であるこども本人がやりたがっているか」が一番で、親のエゴで学習を押し付けても動機づけは生まれない(=習得はうまくいかない)と言えます。

本題:「幼少期から第二言語を学ぶべきか」

BICSとCALPの面から

 CALPは能力を母語と第二言語で共有することは前述のとおりです。つまり、CALPがある程度発達してから第二言語を学んだ方が、より容易に習得できるものだと考えます。特に、BICSは1-2年で習得できることを考慮すると、優先順位は必然的にCALPになるものだと思います。

バイリンガリズムの面から

 母語発達を無視した第二言語の学習は、ダブルリミテッドバイリンガルになるリスクがあり、仮にそうなった場合知的に-の影響があることはここまでの通りです。しかし、バランスバイリンガルになった場合の知的影響を鑑みると、リスク回避を最大限取ることを前提に、バイリンガル教育は意義があるものと思います。

学習環境の面から

 学習環境は、カナダのイマ―ジョン教育の例から見ても整えることが非常に困難です。特に、日本国内で英語のバイリンガル教育をしたい場合、EFL²環境でやっていかなくてはならないため、より困難を伴います。
²EFL(English as Foreign Language:外国語としての英語)

動機づけの面から

 動機づけも、こどもにとって非常に大きな問題の一つで、統合的動機づけが長期的に有効だからと言ってこどもに押し付けても動機づけにはつながりません。また、こどもに言語習得を押し付けることこそ、動機づけを失わせる要因になりえます。

結論:幼少期から第二言語を学ぶ必要性は”△”

 ここまで、様々な角度から第二言語を学ぶ意義について考えてきました。筆者は、小タイトルにも書いた通り「幼少期から第二言語を学ぶ必要性」について「△」と評価しました。バイリンガル教育は、リスクが大きい分受けられる恩恵は大きいという特徴があります。しかし、こどもにそれを押し付けることは許されることではなく、エスカレートすればいわゆる教育虐待となることもあります。また、学習言語能力が母語と第二言語で共有されることから、必ずしも幼少期からやる必要性があるとは言い切れません。

まとめ

 本投稿では、幼少期から第二言語を学ぶ必要性についてBICS・CALPの面、バイリンガリズムの面、そして学習者がおかれた状況の面から考察しました。その結果、幼少期からやる必要性は必ずしもあるとは言い切れないが、メリットは大きいから、母語習得の状況を見ながらやることを推奨するものと結論づけました。この投稿が、お子さんを持つご家庭で、特にバイリンガル教育に興味を持っている方の目に留まり、参考にしていただければ嬉しいです。

補足

 本投稿はあくまで一個人の考えで、情報の正確性を保証するものではありません。ご了承ください。

参考文献

佐々木泰子(2007)「ベーシック日本語教育学」ひつじ書房




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