大石治寿

34歳。プロサッカー選手。

大石治寿

34歳。プロサッカー選手。

最近の記事

吸血鬼

夏にFC刈谷に入団してから少ししてスタメンで使われるようになった。 チームも連敗が続いていた状況から少しずつ良くなって結果に繋がるようになった。 でも良くなったとはいえ順位は変わらずこのままいけば地域リーグとの入れ替え戦に。 危機的状況に変わりはないがチームとしても個人としてもある程度手応えを感じていた。 チームが取り組んでいた練習後全員ジョギング20分マスト。 練習後おにぎり提供。 選手ミーティングを選手自ら行う。 何かを変えようと取り組んでいた事が結果に繋が

    • 記憶

      次の週にV・ファーレン長崎戦でした。 びっくりするくらいプレーの記憶がなくて唯一覚えてるのが10センチくらいしか浮いてないボールにダイビングヘッドしたくらい。笑 センターサークルで笑 気持ちが空回りしてチームメイトに何してんだて笑われたのをよく覚えてます。笑 あとはシュート打ったのかもドリブルしたのかもパスしたのかも覚えてません。笑 こんな覚えてないもんかね? てくらい覚えてません。笑 試合は0-0の引き分け。 チームが連敗して厳しい状況だったのでアウェイでは

      • 刈谷での生活が始まり仕事とサッカーを両立する生活が始まりました。 とにかくお金を稼いで生活費を作らないとと毎日必死でした。 朝から夕方まで働き 夜からサッカー。 大変だなーとかキツイなーとかは正直感じてなかったです。 仕事を覚えるのに必死で サッカーはサッカーが出来る幸せを感じながら 環境が変わることで毎日が刺激的で楽しかった。 キツイとかは感じること暇もないって感じでした。 でも一回 仕事が早く終わり、練習前に仮眠取って行こうと思って寝たら 練習が終わ

        • 困るんだよね

          さて愛知に引越し チームに合流しました。 チームに溶け込むのは得意な方ですぐ馴染みました。 合流してからすぐJFLの試合がありその試合を観戦することになりました。 全然気付かなかったのですが その観戦したFC刈谷対ニューウェーブ北九州との試合に 今の福井ユナイテッドの監督藤吉さんが出ていたらしいです笑 まさかの現役時代の藤さんと対戦していたとは笑 僕は次の試合から出場しましたが、もし合流が少し前だったら同じピッチに立ってたかもしれないですね ついこないだその

          面白い僕

          さて入団が内定し愛知に行く準備をすることに。 なるべく早く来て欲しいとのことでとにかくバタバタでした。 身体は動かせる時に動いて荷造りしてという日々を過ごしていました。 免許も持ってなかったし車ももちろんない。 引越し代もお金も全然持ってなかったので友達に頭下げて愛知まで送ってほしいと伝えたら快くオッケーしてくれて荷物と共に送ってくれることに。 本当感謝しかないですよね 友達がご飯を奢ってくれるだけでいいよと言ってくれて夕飯奢っただけで引っ越しを手伝ってくれました

          心に決めたこと

          練習試合にもう一度来て欲しいと言われ水曜日に行う試合に行くことに。 当時のFC刈谷は水曜日に練習試合をして日曜日の公式戦に臨む1週間の流れでした。 ちょっと前はそういうスケジュールのチームがあったなーて印象だけど今はあんまり聞かないかな? 試合をやるのは何ヶ月ぶりだろうか。 正直45分だけかなーと思ってました。 フル出場でした。笑 もうめっちゃくちゃキツくて途中まで調子良かったんですけど最後の方はバテバテで全く動けなかったです笑 身体を動かしてたものの試合をやる

          心に決めたこと

          練習参加

          練習参加することが決まって バイトで貯めてたお金を使って愛知に向かうことになりました。 当時のFC刈谷には小島弘己って選手がいて u-18のキャンプで一緒にやってたのですぐ連絡して泊めさせてくれることになりました。 本当助かったあの時は。笑 練習が夜だったので何もやることがなくて小島が仕事行く時にイオンの近くで下ろして貰って映画見たり時間を潰してました。 当時のFC刈谷は降格圏内にいて何連敗もしてる中での練習参加で チームとしてはすごくピリついていました。 練

          自己紹介

          -何て呼ばれてますか-つぐ。地元ではつんちゃん。つぐとしって呼ぶ人も何人か。リーダーて呼ぶ人もいる。 -リーダー?笑-ふざけてリーダーぽいことしてたらリーダーて呼ばれるようになりました。 -サッカーを始めたきっかけは?-兄がやってて練習について行った時ボールを蹴ったら上手い!て褒められて嬉しくなって始めました。笑 -パーソナルトレーニングを始めたきっかけは?-初めは後輩に筋トレ誘われて嫌々合トレをやってました笑 移籍のタイミングで1人でやるようになってからどっぷりハマっ

          やっぱりサッカーが好き

          さて大学を中退することになって 何もする事がなくなった。 朝から大学に行って朝練して終わったら学校で授業受けて友達の家で休んで電車で移動して午後練行って夜に家に帰ってくる。 こんな生活もなくなって 朝は何時に起きてもいい 練習がないからコンディションのことは考えなくていい 授業に出なくてもいい 2時間かけて通って大学に行かなくてもいい 何も考えなくてもいい、何もしなくてもいい 生活が始まりました。 若かったので昼過ぎまで寝てとにかく何もしない1日を過ごして

          やっぱりサッカーが好き

          真っ白

          大学生活に慣れて正式に入部して チームの一員になりましたが そこから大学を辞めるまでは本当すぐでした。 大学を辞めた理由は家庭の事情でした。 いわゆる金銭的なところと色々あっての事でした。 確か5月辺りだったかな 新一年生が入ってきて少しだけ一緒にプレーしたのを覚えてます。 1年ちょっとの大学生活でしたが 僕にとってはものすごく濃い1年でした。 僕がプロサッカー選手になれて長くプレーできてるのは大学に行ったこの1年は本当に大きいなと感じてます。 大森監督に

          メンタル

          さてさて大先輩のとんでもない話をしてしまったのでバレない事を祈りながら次の話にいきたいと思います。笑 今思うと11月まで仮入部で公式戦1試合も出ずによくやってたなーと思う。 メンタル的なとこで言うと 普通に楽しんでた。 ですね。笑 先もどうなるかわからないままサッカー部としての活動を続けるというのは 普通だったらメンタルやられるのかな? 僕はそういう面で図太い性格というか どんな状況でも明るくいられる性格なんだと思う。 そういうとこはプロになるメンタルを持って

          ここうとしただけ

          大学生活で驚いたことがある。 それは尊敬していた先輩の話。 さーみなさんこんにちは。 大学で大先輩と再会しましたが一緒にプレーできたのはほとんどありませんでした。 トップチームと育成リーグで元々練習時間も違ったというもあって会うこともなかなかなかったです。 たまーにフィジカルトレーニングなどを全体でやってた記憶があります。 たしか。笑 そんなある日練習時間がトップチームと一緒で練習が終わった後シュート練習を大先輩とやっていた時 「あっ!!」 といきなり大声を

          ここうとしただけ

          バンジージャンプ

          大学生活は本当に楽しかった。 サッカーでプロになる為に大学にきて 思い通りには何もならなかったけど 楽しかったと心から言える。 この “楽しかった。” には色んな楽しかったがある。 大学でのサッカーは高校と違い走りがそんなになく。笑 純粋にサッカーを楽しめた。 高校では本当に本当に本当に毎日走りがキツくて 楽しめた… とは言えなかった笑 大学での生活も楽しかった。 毎日家から2時間かけて通ってたけど 白楽駅に着いて友達と合流して学校へ行き 昼食に

          バンジージャンプ

          身だしなみ

          さてさて前回言い忘れたんですが 健康面での入部させることが出来ない。 これについてなんですけど 僕は小さい時から不整脈を持っていました。 高校でも不整脈が発症しグランドの外で15分くらいかな? 外で心拍が落ち着くまで試合中横になっていたりしました。 その症状が大学でも出て 「そういう症状がある」 ていうのを伝えたら 何かあるかもしれない選手は入部させられない。 と監督から言われました。 この件は後ほどまた話しますが こういった理由で入部する事が出来ませ

          身だしなみ

          仮入部

          静岡学園での3年間は本当に濃かった。 今じゃ言えないこともたーーーーくさんある。笑 毎日毎日あんなキツイ練習、ピリピリした寮生活、厳しい上下関係、気を抜けない学校生活。 よくやったなってそこだけは褒めたい。笑 それくらい本当に毎日が濃かった。 担任の先生は 「高校の友は一生の友。」 と言ってたけど 本当にそうだなーと思う。 今でも応援してくれる友達はいるし 連絡くれる友達は本当に多い。 戻りたいとは何が何でも思わないけど笑 行って良かったなと思う。

          諦めたプロ

          静岡学園での 苦悩。 成長。 そして挫折。 自分の実力のなさを痛感し 色んなことを経験し “僕はプロになれない。” そう感じてしまった。 もちろんオファーや声がかかることはなく “プロになるまではとりあえず大学に行こう。” こんな甘い考えを待って大学に進学することを決めます。 親に言うと 「自分で決めた道なら応援する」 「あんたはどこ行っても何やってもその場に強い人間。」 「サッカーやめたら許さないよ」 これを言われたことを覚えてます。 自分の家

          諦めたプロ