ほつれる永遠 ~Standalone/Welcome Back~

 うぃーん、かちっ、かちっ。CDプレイヤーが起動する音と、キーボードを打つ音が交叉する瞬間。私の30歳の誕生日に配信されたOMSBのアルバム『ALONE』を、さっきから何度も何度も何度も再生している。サブスクリプションは使っているけれども、CDをつい買ってしまうのは「無いもの」に対する不安でもあり、物理的に「有るもの」への期待なのかもしれない。「負けねぇ」と書かれた円盤がCDプレイヤーの中でグルグルと回っている様を想像する。楽しい。もしかしたら存在していなかったかもしれない本についての記憶がよみがえる。

 がたんごとん、がたんごとん。2019年、夏。東京の地下鉄の複雑怪奇さにおののきながら、迷っていた頃の話。久しぶりに会った大学時代の友人と別れ、両国RRRへ向かうも場所が分からない。なによりも、開始時間を勘違いしていて一時間くらい遅れて会場に向かっていた。ようやく辿り着き、トークイベントの後半を聞いて、それから。それから、「彼方」という名前の度の強い酒で酔っ払い、DJタイムで踊っている見知らぬおじさんの姿を見ながら泣いていた。そもそも酔った勢いで新幹線の切符を予約してきたのでホテルの予約も取っていないし、なんならファミレスで粘る予定だったけれど、それにしても、あの空間の奇妙な心地よさは何だったのだろうか。客席にいた不思議な人々も、その場で買ったファーストアルバムCD『FIRST ORDER』にサインをささっと書いてくれた酔っ払いの姫乃たまにせよ、今まで一度も会ったことはなかったのに。私がこれまで知らなかった「東京」というおおらかな魔界に飛び込んだ、あの高揚感は今でもはっきりと覚えている。このときに、もしかしたら「永遠の近刊」のまま出ないかもしれない『永遠なるものたち』の委託注文書も、この際記念に、ということで1枚貰っていた。「良いお土産になったのか、これは」とひとりで呟きながら、流れていくぼんやりとした曖昧な時間。

 かちっ、かちっ、かちっ。2023年、冬。「One Room」を聴きながら、キーボードを打つ。手元にある2019年版の委託注文書に書かれている目次は、『永遠なるものたち』の目次とは微妙に異なっている。「更新」されている。(具体的に指摘すると、各エッセイの配置により「からだ」と「一回性」のモチーフが全体的にせりあがっており、「無いもの」をテーマとするエッセイのコンセプトアルバムっぽさが増している。)「新展開として書き下ろす」というコピーのその先が、この約3年半のあいだに流れている。いろいろあった、の7文字では済まないほど世界はあっという間に変わっていく。(でも、そもそも世界って変わっていくものじゃないの?)『永遠なるものたち』という本の来歴と内容が変わっていったとしても、それはそれで納得できてしまう。

 息継ぎのような一段下げの文章、「*」と小見出し表記のゆらぎ、唯一登場する「追記」。(「追記」の件はあまりにもアクロバティックな展開で思わず笑ってしまった。)どれをとってもフラジャイルではあるけれども、フラットというよりも、どこかの裏道をふらふらしているような切なさが漂っている。そして、文体の音楽的なリズムの良さ。

 目が回るようなカラフルな店内で、肩を寄せ合って、時折腕を絡めながら選んだ入浴剤は、ホテルの湯船で溶かされて、広がったラメが私たちの体を隠しました。

(姫乃たま『永遠なるものたち』,2022年,晶文社,52頁)

 刊行イベントの朗読で聞いた際にびっくりしてしまった。「入浴剤(にゅうよくざい)」の「よ」と「湯船(ゆぶね)」の「ゆ」を蝶番のようにして、「か」と「が」の連続した節回しがひろがっていく。音楽家であり、WEBラジオの経験も長い著者の美点が結晶化した一文かもしれない。

 ふぅーっ、はっ。ため息をつく。CDプレイヤーからはアルバムの最後の曲「Standalone/Stallone」が流れている。いったんの静寂。締め切りがニャオスと化したこの感想文を書きながら、サイン本の『永遠なるものたち』を眺め、またページを開く。ほつれる永遠。私はCDプレイヤーのリモコンを手に取り、もう一度『ALONE』を再生する。冒頭の曲の名は「祈り/Welcome Back」。

#永遠なるものたち読書感想文

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