善も悪もあることを心得よ

 このところ、蒸し暑いので気を紛らわすためにひたすらラース・フォン・トリアー監督の最新作『キングダム エクソダス〈脱出〉』予告編をリピートで再生している。「今、伝説の扉が開かれる――」と、一緒に口ずさみながら、作業用BGMのように。

 ラース・フォン・トリアー監督の映画に関しては、熱狂的なファンでもなく、『ニンフォマニアック』二部作を観た際にも「この方向に突っ走るのか、マジかよ、つらい」という感想を抱いた。(第一部の「カウント」の表現には戸惑いつつ、面白さを感じたが。)

 とはいえ、ラース・フォン・トリアー監督の作品に対する複雑な思いが垣間見えるテクストは妙に引っかかるものがあるので、好きだ。伊藤計劃の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』評における、「夢見る力」への信頼。あるいは、山崎まどかによる『メランコリア』評の賞賛と戸惑い。(なにしろ、当のコラムのタイトルが「ラス・フォン・トリアーが大嫌い」なのだから!)
 
 かく言う私も、『キングダム エクソダス〈脱出〉』予告編の最後を飾る「善も悪もあることを心得よ。」の一言には心打たれた。物語には「悪」を描く力があることを、ラース・フォン・トリアーは知っている。ただ、それだけの事実に安堵を覚えてしまった。意外と、動揺はしていない。

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