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名前のない色でぬり変えて


 部屋に窓やカメラといったものはない。あるのは対話を可能にするマイクとスピーカー、一人がけの机と椅子のみである。視覚でこの部屋の情報を得ることはできない。
 これは隔離取調室7号の記録だ。
 
 あの事故で、妻の命と、娘は両目を失った。
 母親を亡くしたことも相まって娘はひどく落ち込んだ。外にも出ず家でふさぎこむ毎日だ。妻と娘は重い代償を払ったのに、父の私はただのムチウチで済んだのが罪悪感をさらにあおる。
 せめて娘の眼だけでもどうにかしたい。
 そのときに声をかけてきたのが、連中だったのだ。
「開発中の新しい義眼があるんです。
臨床試験に協力していただけるようなら、低価格で娘さんに光を取り戻してさしあげられますよ」
 連中は言った。
 私たちの義眼はスタンドアローンではありません。無線通信でネットワークに接続し、映像処理を私たちのサーバーでリアルタイムに行います。モノのインターネットってやつですね。義肢や義眼もインターネットにつながる時代ってわけです。私たちの所有する機械知能が遠隔で情報処理を行うため、このサイズに本来収まらない処理能力をこの義眼は所有するのです。機械知能が、大昔のモノクローム映像をカラーに色づかせる動画をご存じありませんか? メカ単体のスペックや受光素子の少なさを機械知能で補い、視神経への電気信号といった生体への適応も適切に制御いたします。ようは、手のひらに乗るちいさな機械の眼球でも、なかには部屋いっぱいのコンピュータを搭載しているのと同じというわけですね。
 妻がいなくなってからなにかと要り用だった。破格の安さだった。それで娘が再び目を取り戻せるのなら、藁にもすがる気持だったのだ。
 娘も承諾した。その窪んだまぶたにただプラスチックの球体を入れるくらいなら、再び見えるようになる可能性にかけたのだ。
 手術を終えて、包帯を取る。おそるおそるまぶたを開く娘の横で、私も息を詰めて緊張していた。今でも、あのときの娘の表情が忘れられない。
 ぱっ、と笑顔を輝かせた。
「見える! お父さんの顔も!」
 私は心の底から、連中に感謝した。義眼の代償におまえが飛び降りろ、と連中に言われたらそのときの私は喜んでビルの屋上から飛び降りていただろう。
 最初はまだ目の奥が重く、視野の欠けがあったが、それも視神経との適応をコンピュータが学習すれば治まると聞いた。それまでは自宅で療養と決まった。だから、娘の話したことも、こうした一時的な現象だと私は考えたのだ。
「お父さん、この色はなに?」
 娘が、しきりに周りを見渡しながら、ある色のことを話すようになったのだ。
 娘にだけ、見えている色があるようだった。
 尋ねても、どんな色なのか判然としない。私だって、赤や青の概念をひとに説明できるかといえば難しい。主観の問題だから、なにか具体的な例を挙げなければ伝えられないのに、娘が訴える色は、例えようもないいままで見たこともない色だという。だが例えがあってもわかっただろうか。みんなのいう赤と自分の見ている赤が同じかどうか私も自信はない。機械の眼になった娘のいう名前のない色がなんのことか、私に見当つくだろうか。
 その色は周りの景色すべてに、重なり合ったり混じったりして、虹や燐光のような光線を伴い、ときには煙や霧のようなおぼろげな光として、景色を描く絵具となって、見たこともない色が見えているのだと娘はいうのだ。
 それでも良いと私は思っていた。
 部屋に閉じこもる娘がその色――どこにも色は満ちているのだ――を眺めているとき、本当に娘は楽しそうなのだ。娘は興奮して私に話した。「ほんとうにきれいなんだよ。ひとときも同じ様子の瞬間がないんだ、かたちをかえて、今まで見たことないほど……」
うっとりと、娘はなにもない部屋の隅を眺めた。私には見えない色を語る娘を少し不気味に思いながらも、この色も機械の眼がなじめば見えなくなるだろう。機械のエラーが見せる束の間の魔法なのだと、私は考えていた。だがそうではなかった。色はいっこうに消えず、むしろその影響は強まっていったのだ。
 娘は食事や睡眠すらも十分にとらなくなった。そんな暇があるくらいなら、ゆらめく色から目を離さないでいる方を選んだ。
 娘はその色に魅入られている。
 引きこもった部屋から、やせ細った娘の話し声が聞こえるのだ。
 この世界のあちこちにいる色の幽霊と、娘は話しているようだった。
 もはや尋常ではない。
 機械の眼を与えた連中に私は電話した。当惑した素振りもそこそこにして、連中は私の訴えに取り付く島もなかった。
 どんな電気信号だったとしても、それを娘さんがどう感じているのか、こちらでは測れるはずがないのです。データ上、我々のコンピュータは正常に動作しています。むしろ、問題は娘さんの方にあると考えたら? 奥さんが亡くなったショックが効いているのかもしれません。脳内で視覚と別に幻視しているヴィジョンという可能性があります。私たちはそうした専門家ではありません。眼が取得している情報にエラーはありません。経過は客観的に順調ですよ。ご安心ください。
 私は電話口で怒鳴り散らした。
 そんなはずがあるか。
 それだけでこんなことになるか。
 娘はだんだん人間じゃなくなっているんだぞ!
 ベッドにすわりこんだままじっとし、瞬きもせずに空中を見据えている。食事もしなくなったし、水さえも飲まなくなった。排泄もしない。怖くなった私は、むりやり口にスープを押し込もうとしたが、娘の肌を押すとなぜだか固くなっていた。古いゴムタイヤのようなのだ。普通の人間ではない、普通ではもう生きていない。
 娘の肉体が変容しようとしていた……私は誰に相談すればよかった? 妻がいてくれれば……。
 電話を何度かけても、連中とはもう二度とつながらなかった。
 空を仰いだ腰かけた姿勢のまま動かなくなった娘の手触りは、まるで冷たい大理石だった。澄んだ機械の眼を真珠のようにはめた人形だった。どうしてこんなことになったのだ。ゆすってもさすっても、時の静止した娘は動かない。
 あの日、電話が鳴った。連中の電話番号だった。すり減った声で私は応答した。耳元の声は、知らぬ声だった。声は、連中とは別の組織だと名乗った。
 私たちの名は明かせないが、知っておいてほしい。そして連絡をください。あなたは義眼を、受け取っていませんか?
 声は、一方的に私に語った。消耗した私がその話のどこまで理解できたのか自信はない。
 連中のコンピュータは国際電波望遠鏡に不正アクセスしていた。どうやら連中の機械知能は、電波望遠鏡から得た宇宙電磁波のリアルタイムデータを義眼の視覚情報に巧妙に混ぜこんでいたのだ。連中はとあるカルト宗教団体を母体としている。宇宙から放射される特殊な電磁波が、生命の進化を促進すると信じる狂信者たちだ。人類を進化させたのがそのスーパー電磁波だと信じ、神と崇めているのだ。つまり、連中にとっての神の可視化を目指していたらしい。宇宙から降り注ぐすべての波のなかから、その電磁波を抽出し、直接人類に知覚させて次の進化のステージへ導こうと試みていたわけだ。
 私に説明した声は、受話器越しにこちらを伺うようだった。
我々は連中を追っています。受け取った義眼に問題はありませんか?
 応答する気力のもうない私は、電話を切った。
 娘は完成していた。
 もう今朝から、娘は綺麗な人形になっていた。
 髪の一本一本、開いたままのまぶたのまつげも、指先で触れると真冬の透き通る霜のように折れた。腕を持とうとして、あっけなく娘の腕は二の腕から割れた。
 娘の断面は筋肉も骨も結晶化し、もろい宝石になって、見たこともない色で宝石は、光を屈折させ輝いていた。娘の断面からあふれた色で、子供部屋は輝く結晶のなかだ。瞳孔から入った色は私の頭の底をあっというまに塗りつぶした。
 あまりにも美しい。
 この色が娘の見ていた色なのだと、直感した。
 この色は脳髄が痺れる。伝えるのはなんと難しいか。色は主観の問題なのだから例えようもない。空の青でも、血の赤でもない、娘を変質させたこの奇妙な色……。
 娘の欠片を窓にかざすと、色は視界のなかでいっそう強く踊った。この結晶が複雑なパターンを発生させるプリズムとなって、プリズムは可視光だけでなく、宇宙から降り注ぐすべての電磁波、見つかっていない素粒子も屈折させ、この色だけを抽出し、知覚させるのだという考えたこともない考えが頭に浮かぶ。目の前を色の幽霊が笑いながら駆けまわった。なら娘は消えたのではなく、ここでこうして輝く色の奔流に変身したのだと、私にささやく娘が踊っているのをまぶたの裏でうっとり眺めた。

 もうわかるでしょう。
 私に電話してきて、捕まえたあなたたちも。
 あんなビルの屋上で、私がなにしていたかって、なにを撒いたんだって。
 ――こなごなにすりつぶした、私の娘ですよ。
 宙に舞った娘の欠片で分光されたスペクトルが、交差点に何百もの虹をかけていました。
 その中には、あの色があった。
 いっぱいのやじうまたちが見ていました。
 あの色でできた光の格子が空を覆っていました。
 みんながあの色を見ました。
 実に、美しかったでしょう。
 みなさん、なんの色が見えたとおっしゃっていますか?
 私はもう、答えられるんです。
 男は突然、机の角に右手を打ち付ける。
 パキンと鋭い音を立てて、男の手が手首から床に落ちる。
 その断面は結晶化していた。
 スペクトルを放ち、取調室は奇妙な色に満ちた。
「いずれ世界にあふれる色だ。だからこれは、娘の溶けた未来の色です」
 椅子から倒れた男のからだが、取調室の床に散らばった。

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「第2回かぐやSFコンテスト」(テーマ:未来の色彩)落選作です。箸にも棒にもかからなかったけど、好きなほうの話なんですよね。

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