枯木枕「となりあう呼吸」シェアードワールド企画落選作「レンダリング」


枯木枕「となりあう呼吸」と世界観を共通した作品をつくるシェアードワールド企画がありました。恥ずかしながら自作も提出して落選したので、そちらの供養です。公開された落選作を読んでいましたら己のダメダメな点を多いに見つけましたので、そうした参考になったらうれしいですね。
なおSFGとコラボらしく、「SFG vol.3」では2020年月間SFガイドのFanzineで自作を紹介してもらったのでSFGは日々応援しています。ひき続きSFにいろいろ良いことをしてほしいですね。


『レンダリング』

 あたまのへこんだ彼女は、足元で濡れた仔牛の顔を手で拭う。
 いましがた出産を終えた母牛は、自分が子を産んだことに気づかなかったように、まるで脳を切除した暗い瞳で顔の前に積まれた飼料をほおばる。丸くねじくれた背骨の痛みをこらえて彼女は屈み、何度もなんども、彼女は首をかしげ、死産だった仔牛のまだ繋がっているへその緒を切る。
 その仔牛の頭は、生きるのに適さない歪み方をしている。彼女もまた歪んでいたが、まだマシなほうだ。なぜなら生きている。工場から垂れこめる煙の黒い陶芸家の手でこねられた人々は、生まれたときからみな歪んでいる。
 牛小屋は死体処理場〈モルグ〉の隣にある。モルグでは次々と死体が粉砕機に放り込まれる。運び込まれた死体の腕や腿、ハンマーで砕かれた残骸がすりつぶされて塵になった。むりやり肉と骨の粉を固めて焼き上げたへたなクッキーみたいに、崩れた人々は生きながら脆かった。ハンドルを回す粉ひきたちの痩せた細腕でやすやすと粉々になる。かさかさに乾いた血と肉と骨でできた粉が山ほど生まれる。だから人間から生産される肉と骨の粉を有効活用しようと誰かが考えたのは、当たり前の話。再生。再利用。効率化。ともなうビジネスに熱心でなければ、あんな煙が空を覆いはしないのだ。
 彼女は牛が口に運ぶ、隣のモルグから支給される効率化した飼料のことを考える。
 もともと牛にそれをやるのは反対だったのだ。
 仔牛は奇形だった。
 これは病気ではないか。
 人間を食い続けた牛が、おかしな病気になった。
 羊水に濡れた仔牛を見下ろし、彼女の喉に酸っぱいものがこみあがる。
 そう信じたい。人間を食い続けたから。
 この牛は、だからその首から上が人間の赤ンぼうの首をしているのか?
 目の前にあるのは人間の頭をした仔牛だ。
 これは牛の病気だと、無視をしてよいのか。嫌な予感が彼女に這いよる。そうだとも、きっとあたしは関係ない。飼料を食うはずがないし、同じじゃない。きっと誰ともかわらない、ふつうのこどもを生むはずだ。あたしと同程度に歪んで崩れて脆くなった。例えば、あたまのへこんだこどもを。
 そう彼女は考え続ける。自分の膨らむ腹に手をやって。
 彼女の腹は、丸く熟した実のように臨月が近い。
 ――十日後、彼女は牛小屋で生む。
 

 
 みんな歪んで崩れているのだし、へんな病気も流行って、さらに崩れた人間や動物で世の中あふれてる。いまさら見世物小屋なんてなァ。
 男は周りを見渡す。男と同じように、崩れてとろけたからだに、糊の効いたスーツを着こんだ紳士たち。装飾をかざったこぶだらけのご婦人。
 見世物小屋の主人が、ステージで手を広げる。
 さあ、さあ、お立合い。今宵のお客様は本当に運がいい。まさに奇跡の逸品。魔法の産物。本日のメインディッシュはこちら。みなさまとくとご覧あれ。
 現れたのは、鎖に繋がれた一糸まとわぬ若い女だ。
 完璧な女だった。すらりとした四肢となめらかな曲線。きれいな乳房の脇に、すこしカーブした髪がたれていた。
 どよめく観衆。身を乗り出す人々。それもそうだ。こんな美しい人間のかたちは、まずお目にかかれない。しいていえば、皮膚が灰を固めたような灰色をしていたが、かえってそれが娘の神秘性を増していた。
 息を飲み、男はひとめで夢中になった。女と比べると、自分の歪んだからだがひどく恥ずかしい。そんなこと今まで一度も思わなかったのに、からだを抜いで捨てたいような羞恥心。そして怒り。男は、まるでひどい喉の渇きにたったいま気づいたように、女を手に入れたかった。そのかたちをめちゃくちゃにしたかった。
 観衆の反応に満足した主人は微笑み、まだこれだけじゃないと手を振る。
 みなさまおわかりのように、こちらはただの見世物小屋ではありません。驚天動地の代物をお値段に応じてあなた様方に、欲張りなお客様へ、こちらはなにを与える倶楽部でしたか?
 スポットライトに照らされて、エプロンの大男〈ブッチャー〉が現れた。
 大男は手に持っている肉包丁をギラリと光らせ、うなるように女へ問うた。
「どこで生まれたのだ?」
「牛小屋で」
 女はどこか凄みのある顔で微笑んだ。
 ブッチャーが叫んだ。
「こいつは牛だ! モモ! リブ! ロース! とろける脳! 至高の味をご提供しよう!」
 主人が満面の笑顔を観衆に振りまく。
 さあさあさあ! 最上のうつくしさを味わう機会は二度とありますまい! 集いし美食家の皆様方! 奇跡の薬効! へんげの妙薬! 医食同源とも言います! この娘を食らうことができれば、そのちからもまた得ることができましょう! 嘘じゃあありません! 最高額の方から順にお好みの部位と量をお与えいたしますぞ!
 

 
 ……男はうっとりと、鏡の前で己のからだに指を這わせた。
 食えたのはほんのひと切れもなかったが……。
 かつて不老不死になるといわれ、できそこないの奇形の魚を食ったときや人型の根っこを食したときとは比べ物にならない。
 ――まさか真実だとは。
 数週間かけ徐々に整列した骨格。艶やかな髪。はりのある肌。
 いままで見たこともないかつての人間のすがたに男は感激した。だがなんだろうか。見えない針が眼球に突き付けられたような予感。
 変容した己のまだ膨らみかけの乳房と尻、鏡のなかに立つ肌の色……あの灰色の女の姿とうりふたつに似通っていく。
 誰なのだ。
 そうだこれから長い時間をかけて、わたしは。
 いったい何になっていくんだ?
 ドアを誰かが強く叩いている。
 裸のまま恐怖に振り向く。ブッチャーの肉包丁がギラリとひらめく……。
 

 
 病院で枯れた竹のような女が叫んでいる。女は泥の底じみた娼館で働いて、子種の知らない子を産み続けた。歪んだこどもは生きて産まれるほうが珍しい。だから腹を痛めて塵の塊を産むたびに、彼女の心は削れていく。
 喜び舞い上がる女は腕に抱えた布袋を振り回す。布袋の隙間から、撒くように粉が舞った。それは窓から差す日に妖精の鱗粉みたいにきらきらと輝いた。遠心力で、小さな指の先っぽや毛髪、目玉の欠片がこぼれて床に落ちた。周囲は眉をひそめて、ゴミを散らかす女を迷惑がるばかり。
「人間のかたちをしていたわ! たしかにこの子は正しい人間のかたちをしていたの!」
 初めて見た。確かに一度は見た。
 こどもの姿を。
 こまかな塵が煙となって、踊り子の袖のように待合室に座る人々の鼻孔をくすぐる。
 

 
 これは新しい病なんだ。君も知っているだろう。いま灰色の女たちが増えている。みんな同じ顔で、うつくしく正しい同じ姿をしている。彼らはみんな元々私たちと同じ崩れたひとたちだったって信じるかい。もともと男だろうが、みんな灰色の女になったってことを。
 わたしの考えはこうだ。我々生物はちいさな構造が組み合わさって、その相互作用で構成されている。微生物は少なく、大きな人間はより多くの数の構造体がレンガみたいに組み合わさってね。つまり肉の粒子だ。肉の粒子は柔らかいから、ある構造の肉の粒子が、別の肉の粒子を折りたたむことで構造を組み替える。この計算された連鎖による様々な構造変化と化学反応で生命は生じるのだ。あなたの鼓動ひとつ、ちいさな血肉の形成すらもね。さて、われわれは強制的共食いをしている。腑に落ちない顔をしているね。でも身に覚えがあるはずだ。人間は塵に還るんだから。死とともに地ではなく、塵へ。知らず知らずのうちに、この空気や埃、指先についた人間の破片、塵となった肉を人はまるごと食らい続けてきた。塵は肉へ、肉は塵へ、人から人へ、人の肉の粒子は人から人へ渡り歩く。繰り返された再利用の不幸な偶然が、肉の粒子に変成を引き起こしたのだ。己の構造を別の粒子へ伝播する粒子。感染する肉の粒子。自己複製する狂った塵が個体から個体へ蓄積された。それが塵の魔術を引き起こした。これが灰の女の正体さ。灰の女を食った人間が、狂った肉の粒子に組み替えされて灰の女になる。伝染する病そのもの。病そのものが灰の女なのだ。だからごめん。君が産み続けるその正しい人間のかたちをしたこどもたちを渡してくれ。ここは悪魔の場所だ。誰が夫かわからないのに君は望んで産んでいるのか? かなづち? そうだこれはかなづちだ。わたしは医者だから。ああたのむどうか叫ばないで、許してほしい。砕いて火にくべるのだ。それは人間のかたちをした病気なのだからねしかたないのだよ。
 

 
 往来を灰の女が埋め尽くす。
 もう慣れてしまった日常。変わらない日々。路地沿いで煙突から煙をくゆらせる家の扉を破り、女たちが彼の髪をつかんで喧噪に引き釣り出す。両手両足を押さえつけられた彼に、通行人が奇異の目をむける。それは珍しい崩れた男だからだ。崩れた男は顔を覆うマスクをしている。くぐもったわめき声。
 病気は減らさないといけない! 世界から病気は、さもないと!
 乱れた世界は、すこし整然とした。同じ顔。同じ人たち。灰色の世界にならされていく。ローラーで道をならされたみたいに。
 彼の掴むかなづちを女がひったくる。どっちが病気だ! いかれたヤツめ! と誰かが叫ぶ。彼のマスクを掴んで剥がす。さっきまで彼が火にくべていた女の破片を彼にぶつける。どこからか造花の花弁が破片に混じって舞う。
 にせものの花びら。血と肉片が彼の血走った目や口に入る。その口から甲高い怯えた悲鳴。
 ああ、治療を!
 治療を!
 
 ふたりとも異なる血筋、異なる場所で生まれた。でもまるでうりふたつの双子のように、ぼくたちは同じような歪みかたをしていた。おなじクッキーの壊れた型で抜いたみたいに。病院で出会った瞬間、君の歪みはぼくらの識別信号だった。光を失った目玉の同じくらやみで、ぼくたちは手のひらで君のかたちを確かめあった。
 だから、いつでもどこでも、ぼくたちはぼくたち同士を見つけられる。退院した後も、違う場所でも、わたしたちは、わたしたちを見つけられるって、こんなにわかりやすいことはないって、言っていたのに。
 先生、ぼくは見えるようになりました。
 世界はたしかに美しくなった。
 ある意味治ったのだ。
 どこを見ても、どこへ行っても、ぼくももうそうだ。
 黒い煙の空。灰色で埋め尽くされた街角で。
 どこを捜してもぼくと同じ灰色のカタチがあふれてる。
 退院祝いの造花だけど、目印の花束をぼくは手元で揺らす。
 待ち合わせにあの娘は来ない。
 あの娘を見つけられるか、もうわからないから。
 いつでも捜している。
 
 了 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?