人生を中国に賭けると・・・
「米中つないだ「チャイナ・ボーイズ」 ニクソン訪中から考えるヒント」(朝日新聞2022年5月21日付け)
引用 ”プラットは国務省入省後間もない60年代、「いつかは米中国交が正常化するだろう」と考え、中国語を勉強する「大きなギャンブル」を始めた。プラットはニクソンの言葉を聞きながら、「私はギャンブルに勝った」と思ったという。”
⇨ 面白い。地域専門家を志す米国の学徒の中には、これからどの国が台頭しそうかを考えて、専攻を選ぶパターンがあるようだ。
「中国が経済成長しそうだ、ビジネスの役に立ちそうだ」と考えて中国語を学ぶパターンは世界のどこにでもあるが、外交や国際関係の道に進もうとする人がこんな動機で専攻を選ぶのは覇権国ならでは、かな?知らんけど。
そう考えたのは、かつて1980年代には「これからは日本の時代が来る」と考えて、日本専攻を選択した米国学徒がいたと聞くからだ。
もう20年も前の話になるが、アジアのFTAについて書いた拙稿が英訳されたところ、米国のある外交専門家から酷評される経験をしたことがある。私は「日本は尻込みしていないで、もっとアジアのFTAづくりをリードしろ」みたいな趣旨を書いたのだが、氏から「(日本の役割や影響力を過大視する)日本によくあるタイプの物の見方」「日本がそんな風に変われるはずがない」と切って捨てられてしまった。
ちょっとムカついたので、氏が酷評を載せた某チャットルームで数往復応酬したのだが、その過程で「このオッサンは何故こんなに日本を悪く言いたがるんだろ?」と感じた。
当時所属していたRIETIの米人スタッフに、そう愚痴をこぼしたところ、彼の言うには「彼は『これからは日本の時代が来る』と考えて日本を専攻したのに、その後の日本が『失われた十年』になっちゃったせいで、『日本は自分の期待を裏切った』と恨んでいる」ということだった。
フーン。それは申し訳ないことでしたね…
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21世紀に入ってから、米国で中国を専攻することは、この記事中の1960年代のプラット氏みたいに奇抜な賭けではなくなり、ビジネス動機、あるいは外交関係の動機から大量の学徒が中国を専攻した。彼らの中国語のレベルは一世代上の「中国専門家」より格段に向上し、CIAの翻訳サービスを通じずに新華社のニュースを原語ですらすら読むのが当たり前になった。
しかし、中国はいまや「関与政策」の期待を裏切って、米国最大の「競争相手」(仮想敵国の婉曲表現)になってしまった。経済的にもグローバリゼーションのトレンドは「デカップル」「ブロック化」のトレンドに取って代わられようとしている。
ビジネス動機で中国を専攻した学徒にとっては、ちょっとアテが外れ始めているが、外交動機で中国を専攻した米国学徒にとっては、中国がのっぴきならぬ敵国になることは、悪くない道行きだとも言える。
人生を中国に賭けた彼、彼女らは、「日本に裏切られた」ような経験をせずに期待どおりの人生を送り続けられるだろうか。
中国は、全土を統一した王朝がいっとき隆盛を誇った後に衰退し、その後内憂外患、混乱のいっときを経過するパターンを何度も経験してきた。
今後の中国が経済的、政治的に混乱に陥って、そんな ”Path dependency:径路依頼” を再演することになれば、彼らの期待も裏切られることになるが、そういう事態を何より恐れる中国共産党は「そうはさせじ」と全力を尽くすだろう。
そういう意味では、人生を中国に賭けた米国の地域専門家たちは、中国共産党に対する己の好悪の感情はさて措き、これからも連中に頑張ってもらわないと・・・(以下略)w