「第二次世界大戦以来最も困難な闘い」ー国民の生命と暮らしをどう守るか
政府の緊急経済対策に対して、身内の自民党内から「実効性が乏しい」「これでは足りない」という批判が挙がっているそうだ(「安倍政権のコロナ経済対策、なんと自民若手たちが「批判」を始めた…!」)。
仮に今のような事態が数ヶ月、半年、一年と続いたら、フリーランスは収入がなくなる、会社は従業員を解雇しなきゃ倒産してしまう等々大変な事態を招くから、見かけは108兆円(≒1 trillion (兆) ドル)でも、「いわゆる「真水」は新規発行国債のわずか16兆8千億円余りに過ぎない」対策では到底足りないのは確かだろう。
自民党内の批判者は「やるべきことは、(1) 粗利補償、(2) 現金給付、そして(3) 消費税ゼロの三つだ」と提言しているそうだが、このうち「粗利補償」という考えに「反応」してしまった。
引用"『粗利補償』をして、自粛しても不安なく生活できるようにしなくてはならない。そしてそれは何よりもの感染拡大予防になるのです。”
そうしないと大勢の人が路頭に迷うから、ある意味、ある程度賛同。
けど、粗利補償って、極論すれば「国がGDP分を配る」って話だ。突き詰めてやれば、現金給付も消費税ゼロも要らなくなる代わり、国の債務/GDP比が半年で50%増える(注:批判者がそう言っている訳じゃないですよ)・・・実際にそこまで行かないにしても、数十%規模で借金が増えることになるだろう。
第二次世界大戦以来最も困難な闘い
そう考えて思い出したのは「この新型コロナウィルス感染症との闘いは、第二次世界大戦以来最も困難な闘いだ」というセリフ(幾つかの国の首脳が言った)。
大きな戦争は国の財政を極端に疲弊させる。
日本は膨大な軍費を投じた挙げ句に戦争に敗れ、台湾と朝鮮半島に投じた財産も全て失って、国家財政が破綻した(ハイパーインフレで国民が負担した)。
戦勝国米国も、膨大な軍事支出を国債で賄った結果、連邦財政が際どいところまで行った(金融機関との間で金利を低く保ち、国債が値崩れしないようにする約束(アコード)をして、国債を長期間保有させ、20年以上の時間をかけて国家債務のGDP比を減らしていった(下図参照))。
英国も第二次世界大戦直後GDP比で250%以上あった国債残高を高インフレと低金利の組み合わせ(いわゆる「金融抑圧」)で減らしていったという(コラム:「失われた20年」の次は「英国病」か=河野龍太郎氏)。
各国指導者が「第二次世界大戦以来最も困難な闘い」といった物言いをするのは、きっと今回のコロナ禍が、国にも国民にも戦争に比肩するほどの犠牲を強いるという予感があってのことで、その一例を敷衍すれば、財政面ではGDPの数十%に及ぶ負担を覚悟せざるを得ないといった深層心理なのではないか。
そのとき日本が辛いのは、戦時・戦後でもないのに、国家債務のGDP比が既に200%を上回っていることだ(注)。このうえ更に数十%の負債累増を覚悟するのか・・・。
注: 2019年9月時点で202.7% (BIS調べ)
こういう問題を巡っては、財政再建派と(国内で国債を消化できる日本は国の借金分国民の金融資産も増えるので心配ない」と言う)いわゆる「リフレ」派の果てしない論争がある。最近は何時まで経っても破綻しない日本財政の様子を見て、海外に「MMT」なる新学説も登場した。
私は「タヌキが葉っぱを小判に変える」昔話じゃないけど、借金を償還できる収益力の増加という裏付けを伴わない金融資産は「なんちゃって資産」にすぎないのではないか、「そんな借金をいくら増やしても、国内で消化できるなら問題ない」って、うまい話が成り立つなら、長い世界史の何時か、何処かに先例が記録されてるはずだという気がするが、神学論争に参戦する気力はないので、ここまでにする。
そう述べた上で言うなら、ほんとうに今の緊急事態が半年、一年と続くなら、先がどうなろうとも行き着くところまで行く覚悟で、国民の生活や企業の操業を財政で支えるしかないと思う。
キヤノングローバル戦略研究所の提言
自民若手が提言する「粗利補償」の考えは、本気で受け取ると極論だが、気持ちは分かる。最近キヤノングローバル戦略研究所が出した「コロナ・ショックの経済対策の基本的方向性について」という緊急提言には、こういうくだりがある。
強制的な消費の縮小によって、収入が途絶し、資金繰りがつかなくなっている企業や就労者(主に非正規雇用の労働者やフリーランスなどの個人事業主)は、感染防止政策の犠牲者であるから政府が責任をもって救済しなければならない。
資金繰りがつかなくなった企業は、債務返済ができなければ倒産するし、収入が途絶した個人は家賃・公共料金などの支払いや生活必需品の購入ができなければ生活が維持できなくなる。政府がやるべきことは、これら債務返済・家賃等の支払い・生活必需品の購入などの最低限の出費に必要な資金を支援することである。
同感だ。ここには「必要な資金を支援する」とだけあって、それが「真水」なのか、融資なのかは触れていない。実際には政策金融公庫や政府の利子補給と信用保証を前提とした民間金融機関の「融資」が中心になるだろう。
しかし、その少なからぬ部分は、返したくとも返せない「不良債権」化して、最終的に財政負担に転化するだろう。
致し方ない。財政を破綻から守っても、代わりに多くの同胞が生きていく術を失って餓死したり自死したりするのを拱手傍観したら、国家を名乗る資格はない。
「返せなければ返さなくとも良い」となっても、返せる国民、企業は時間をかけても返すだろう。日本国民にはそのモラルがあると思うが、それは国が国民の生命と暮らしを見捨てないことが前提だ。