人間関係を楽にする「ハンロンの剃刀」
朝、あなたがオフィスに来たら、見かけない人がいた。最近異動してきた人だろうか?それともお客様だろうか?あなたは勇気を出して声を掛ける。「こんにちは!」だが、その人は一瞬こちらに目を向け、モゴモゴと何かをつぶやいたが、すぐ逸らしてしまった。
後になって、その人が別の会社から転職してきた、新たにチームの一員となる人だということが分かった。だが、あなたはなんとなくその人に親しみを持てない。挨拶も返せない無礼で嫌味なやつだと思ったからだ。歓迎会でも、その人は自分にだけなんとなくよそよそしい態度を取っている。こいつ、初対面なのに何なんだ?
ところで、あなたが挨拶をしたその日は、その人 ── 仮にAさんだとする── の最終面接の日だった。とても緊張していて、面接のシミュレーションをしている真っ最中だった。もし圧迫面接をされたらどうしよう、なんてことも考えていた。そんな中、とつぜん挨拶をされたので、上手く答えられず、ほんの小さく「ア……ドモ……」と返せただけだった。面接でも緊張しきりで、実力の20%も出せなかったと思う。家に帰って、上手く挨拶を返せなかったあの人のことや、面接のことを思い出して、泣いてしまった。
意外にも採用の通知を受け、出社した初日のことだ。最終面接の日に声を掛けてくれたあの人がいる。挨拶して、あの日のことを謝りたかったが、なんだか険しい顔をしているように見える。もしかしたら怒っているのかもしれない。そう思うと、話しかけづらかった。歓迎会で声を掛けたかったが、たまたま話しかけづらい位置にいたし、なんだかこちらを睨んでいるようにも見えるので、怖くて声をかけられなかった。
いったい、どっちが悪かったのだろう?どっちも悪くないと言えるし、どっちも悪いとも言える。
新たに入社してきたAさんは、あなたに急に話しかけられてただキョドってしまっただけなのだ。だけど、あなたはそれを「無礼なやつ」「嫌味なやつ」と解釈した。挨拶を返せないやつは悪いやつだと思ったのだ。Aさんもまた、あなたのことを怖い人、近寄りがたい人という印象を持っている。
さて、タイトルに戻ろう。「ハンロンの剃刀」というのは、 愚かさによって十分に説明できるものを悪意のせいにしてはならない という考え方だ。用法についてWikipediaから引用してみよう。
さて、これは人間関係においてはどう応用できるだろうか?もう少し意味を広く取って、 わざわざ敵意や悪意を見出す必要はない と考えてみよう。
無視されたのは、自分のことが嫌いなのではなく、自分に気づかなかったからだ。
つっけんどんな態度を取られたのは、自分のことが嫌いだからではなく、急に話しかけられてキョドってしまったからだ。
睨んでくるのは、自分のことが嫌いだからではなく、たまたま目つきが鋭く生まれてしまったからだ。
タイトルにも書いた通り、これは人間関係を楽にするテクニックだ。どうでもいいことで勝手に傷つく必要はないし、嫌う材料を増やす必要もない。原則として、 人は自分が嫌いな人のことが嫌い なので、あなたが誰かを嫌えば、その人もあなたの事を嫌う。たくさんの人に嫌われている状態は楽ではないので、楽に生きるためには、人を嫌わないのが一番手っ取り早い。
さて、もう少し実例を出してみようか。
上司からのメッセージが「。」で終わっているのは、怒っているからではなく、ビジネスマナー講座でそのように習ったからだ。
取引先が「なるはやでお願いします」と言っているのは、無遠慮に催促したいわけではなく、あなたの優先順位を尊重しつつも、この仕事の優先度が高いことを表現したいと思っている。
同僚が「何か手伝うことありますか?」と聞いてくるのは、あなたの仕事が遅いことを暗に批判したり、あなたの仕事が誰にでもできるものだと思っているわけではなく、ただ手伝いたいと思っている。
探せば、こういうバイアスは色々なところにあるものだ。「このひと、ちょっと嫌な感じだな」と思ったら、ハンロンの剃刀のことを思い出して欲しい。
余談
「オッカムの剃刀」というのがあるが、これはまた別。