「全部やる」と決めてしまうと楽になる
多くの人が、物事には優先順位があると信じている。なぜなら、時間は有限で、やりたいことは無限にあるから。だから、有限の時間の中で、出来るだけ大切なことに時間を使おうと、優先順位を付けて、順番に取り組む。
「大切なこと」にはいくつかの種類がある。偉い人の鶴の一声で始まったプロジェクト、家族や友人との時間、休息、趣味の庭いじり、どれも大切なことだ。何かにたくさん時間を使おうと思ったら、別の何かの時間を減らさなければいけなくなる。
そして、減らされるのはたいてい、大切じゃないことの時間ではない。減らされるのは、調整しやすいことの時間だ。子供とプールに行く約束は、偉い人とのゴルフの時間よりも調整しやすい。だから、たとえ子供が何より大事だと思っていても、ゴルフを優先してしまう。
本当は大事なはずのことを、さも大事じゃないかのように扱うのは、とてもストレスがたまる。子供と遊ぶ時間が何より大切なはずなのに、仕事が忙しいからといって目を背けてしまうと、遊びたい、遊びたいと言う子供のことがだんだん憎らしく見えてきてしまう。約束を破ったのは自分の方なのに、わがままで理解のない子供のように扱ってしまう。
だから、最近はもう全部やることにしている。全部だ。全部やることに決めた。決めてしまえば後はもう全部やるだけのことだ。何が大事で、何が大事ではないかは、自分の心が知っている。その時一番やらなければいけないと思うことをやっている。
もちろん、プールとゴルフに同時に行くことは出来ないから、ダブルブッキングだけは絶対に避けなければいけない。でも、それ以外はたいていなんとかなる。読むと決めた本は読むし、寝ると決めた時間は寝る。遊ぶと決めた日は遊ぶ。
正直に言うと、仕事の面では、力不足でやり切れないこともちょいちょいあったりはする。だが、少なくとも仕事を断るためにあれこれ言い訳をすることは少なくなった。
本当に大切じゃない時間は、優先順位をあれこれ考えたり、約束を破る言い訳を考えたりする時間のほうだ。「全部やる」と決めてしまえば、そこに時間を使う必要はなくなる。考える時間が減る分、手を動かす時間が増える。やると決めてしまえば、手は自然に動いていくものだ。
変わったのは時間の使い方だけではない。余計なことを考えることが少なくなって、心がとても軽くなった。思うに、一番苦しいのはやらない言い訳を考えているときなのだ。だから、理由を付けずに全部やるというのは一見非合理に見えて、個人としてはとても合理的なメンタリティなのではないかと思っている。