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インタビュー調査<野口郁子氏>

 1941年に熊本生まれの野口郁子氏は、牧歌的な小中学校時代を経て、母の言葉をきっかけに高校に進学。高校時代に出会った恩師の「自分の足で自分の人生を歩け」という言葉に感銘を受け、大学に進むことを決意。九州大学文学部に通った後、1964年に西日本新聞社に入社、文化部家庭欄の担当となる。
 入社して最初は校閲をメインに、一人前の記者になることを目指す中で、女性問題を自分のテーマとして生きていこうと決意。1977年に、唐津赤十字病院事件に取り組む。退職年齢の男女差別に関する裁判で、当事者が勇気を持って訴える姿を、そして世の中が変わるのを目の当たりにする。
また、1978年〜82年には「女たちの時代」の連載を開始。自分の人生を自分が主役として生きる様々な女性の姿を紙面で紹介したいという思いがあったと言う。
 1989年には、日本で初のセクハラ裁判でもあった「福岡セクハラ裁判」を担当。一本の電話をきっかけに、「新聞で問題提起してほしい」との声を受け、女性読者投稿欄「紅皿」を使って、実情を訴えた。さらに裁判を支援し、個人の問題は社会の問題であることを痛感し、読者に「差別はあってはならないこと、人権を尊重しなくちゃいけない」という大切なことを知らせる役目が新聞にはあると感じたと語る。
 デスク時代には、「読者とともに」を基本としてアグネス論争などについて度々意見募集の特集を展開した。また、1995年には『安永蕗子 聞書 月花の旅』の連載を開始。
 1998年には、アミカスの館長に就任。館長時代には、アミカス十周年記念行事として、福岡在住の四人の女性作家による「ハートフル・トーク」を実施して、本も出版した。
 女性記者の現状については「まだまだ増えていい」と語り、ブロック紙のメリットとしては、地域密着でネットワークを広げ、根を張ることができたことだと言う。女性としてのハンディは、また強みにもなったと言い、「人生は生きる柱を見つけようと思えば見つけられるのではないでしょうか」と語った。

主担当:田中