信じる時に必要なこと?
おはようございます、ほんねふぁくとりーのつっちーです。
本日は「信じる」について独断と偏見で書き留めていきます。
みなさんは「信じる」について、普段どうでしょうか?
セットでついてまわるのは「裏切り」という言葉が妥当でしょうか?
わたしは仲間の事を信じています。そこに「裏切り」という言葉がセットであるかというと昔はありました…。
それは身勝手な期待や思い込みが強かった若手時代です。
そもそも、はじめから裏切りたい人っているのでしょうか?きっと違うんですよね。裏切られる側にも問題があるし、この言葉にも問題があります。
そして「信じる」という言葉が軽すぎるのかもしれません。
「信じる」というのは無償であるべきなんですね。だから「信じる」という言葉は軽はずみに使えば使うほど裏切られたと感じやすいものになります。
わたしは「信じる」という言葉は前提条件、裏切られても「許す」ことができる状態が必要だと思います。会社員時代、部下が酷い辞め方をするたびに裏切られたという感情を勝手に思っていた事が恥ずかしいものです。
「人は裏切るものだ」という考え方で過ごした会社員時代でした。
まとめます。「信じる」ことは「許す」こと。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました◎
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