今の状況は「現代日本の開花」で憂いられていた状況と似ている気がする
高校時代に現国の授業で読んだ(当時の感覚としては読まされた?)、夏目漱石の「現代日本の開化」という講演記録が結構印象深くて頭に残っています。内容自体は、「青空文庫」で読むことができます。
内容としては、要するに、
・明治維新以後の文明開化によって得られた近代化は、西洋からの外圧的なものでしかたなく起こったもので、日本人自らが考えて起こしたものではないので、無理が生じてきてるのではないか?
・しかも、西洋が100年単位で築き上げてきたものを10年やそこらでなんとか上っ面だけへつらえても、やっぱりそれは空虚なものではなかろうか。
・「ほなどないしたら良いんや?」という結論は、夏目漱石自身も出すことができていない
といったものでした(多分間違ってないはず)。
このお話を戦後日本の国民主権・民主主義的な考え方の歩みと重ねて考えたこともありましたが、今現在の状況(「ウィズコロナ」とか言うんですか?)と照らし合わして考えると、これもまたしっくり来るような気がしてなりません。
ソーシャルディスタンスだ、新しい生活様式だ、といろいろ言われつつも、結局それは、COVID-19 という黒船的な外圧を理由にやってるに過ぎないので、まぁ、無理はありますよね、と。
そりゃ、前みたいに普通に酒は呑みたいし、騒ぎたいし、フェスやライブを楽しみたいし、舞台芸術だって普通に観たりやったりしたいから、「今の所のできる形で」我慢してやってるので、「いつかは前みたいに」と思ってるんやろなぁと。
でも、「新しい生活様式」なんて言われると、生活そのものを変えろ、と言われているわけで、少なくとも COVID-19 にはなんかしら注意を払って生活をせなみんな困る、ひいては巡り巡って自分が困るわけなので、やっぱり無視して生活はできないわけですよね。
そういう意味では、「【with】コロナ」ではなく「【under】コロナ」のほうが近いと誰かが言ってたのは妙に納得します。
いろいろなことが前に前に進んでいって入るんやけど、その変化に心がついていってないと、もやもやもするし、どこかで無理や歪は生じるし・・・でもどうしたら良いかは結論でなくて、先がどうなるかもわからない、まさに、夏目漱石が考えていた状況と重なって仕方がないわけです。あんまりこんな事考えてたら、夏目漱石よろしく神経衰弱と胃潰瘍で死んでしまいますね。
とは言え、今の状況はなんとなーく無理があるんや、ということを知りながら、ベターな答えをみんなで知恵絞って見つけていくしか無いんかな、という平凡な結論には落ち着いたところです。
ではでは。
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