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村上浩康の その一本に魅せられて 第一回

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ドキュメンタリー映画監督渾身の映画論評コラム。
第一回目は映画「ロゼッタ」の前編です。

「ロゼッタ」 (1999年 ベルギー・フランス合作)
監督 リュック&ジャン・ピエール・ダルデンヌ

人間を見つめる厳しい目と徹底した創作スタイル

 この映画が始まった時、主人公の少女ロゼッタの怒りに身をまかせた荒々しいふるまいと、それを執拗に追いかけるカメラの激しい動きにめまいが起こりそうになった。まるで野生動物の生態を追ったドキュメンタリー映画のようだ。
 ロゼッタは野獣だ。突然仕事を解雇され、猛然と抗議しながら職場中を駆け回る彼女は、周囲の説得や雇用契約の事情などを一切無視して人々をはねつける。警備員が呼ばれ連行されそうになっても、壁やロッカーに手足をかけ、文字通り仕事にしがみつく。
 この映画のカメラはロゼッタのすぐそばに寄り添いながらも、淡々と冷徹に彼女の一挙一動をフレームに収めていく。そして全編にわたりロゼッタの行動だけを追い続ける。彼女が登場しないシーンはひとつも無い。これは野獣ロゼッタの生態記録なのだ。だから安易に主人公に感情移入をさせない。映画に寄り添う事すら許さない。兄弟で監督を務めるリュック&ジャン・ピエール・ダルデンヌの人間を見つめる厳しい目と徹底した創作スタイルに圧倒される。

 続くシーンでも、ベルギーの都会の片隅に生息するロゼッタの観察記録が綴られていく。街角で水筒から水を飲むロゼッタ。先ほどまでの怒りを鎮めるように、内に燃える炎をかき消すかのように体に水を注ぐ。
 帰路に着くロゼッタ。彼女は野獣であるから人間の道を通らない。車が行きかうハイウェイを隙を見て横切り、森のけもの道を通り、土管に隠した長靴に履き替え、足跡を残さぬよう巣に戻る。彼女の住みかは町はずれの森の奥にあるオートキャンプ場だ。貸しトレーラーハウスを仮宿に、アルコール中毒の母と二人で暮らしている。
 母は酒におぼれるあまり、キャンプ場の管理人に体を売り、ロゼッタとは顔を合わせる度に互いに罵り合うような関係にある。しかしロゼッタは(これも動物の本能であろうか)唯一の肉親を見捨てるようなまねはせず、細々と仕事をしながら家計を支えている。そして今、彼女は職を失い途方にくれている。そのことは母に話してもしようがないので、胸の内にしまい、必死に苦境に立ち向かう算段をしている。
 母には裁縫という特技があり、これが家計の一助にもなっている。民家を回り、不要な衣類をもらい受け、リフォームしたものをロゼッタが古着屋に売りさばく。微々たる額しか稼げないが、これは母が社会と繋がる唯一の接点なので、ロゼッタも厳しく強制している。
 この日、母が古着と共に一片の魚の切り身をもらい受けてきた。これがロゼッタの逆鱗に触れる。古着を譲り受けることは仕事に繋がるので許せるが、食物を恵んでもらうのは単なる施しでしかない。いくら飢えようが、ロゼッタは施しを受けない。他人の獲物を喰らうことは、誇り高き野獣には許されないのだ。母に刃物で脅されようとも、ロゼッタは猛然と魚を奪い戸外へ投げ捨てる。
 魚にありつきたければ、自分で獲るがいい。ロゼッタは森の中の沼に向かい、あらかじめ仕掛けておいた罠を引き上げる。空き瓶の中に仕込んだ針で、沼に棲む得体の知れない魚を捕えているのだ。

 映画が始まってここまでで15分くらいだろうか。私はすっかりロゼッタに魅せられてしまった。年齢はまだ10代の半ばくらい、街ですれ違っても何の注意も惹かない、どこにでもいるようなごく普通の少女が、人知れずこんなにもギリギリなサバイバルをしているとは。
 職を失ったロゼッタは、市役所の求職課へ仕事斡旋の登録に訪れる。しかしキャンプ場が住所では認可はしてくれない。代わりに生活保護の申請を薦められる。もちろん誇り高き野獣ロゼッタは、如何なる施しも受けないと踵を返しその場を去る。
 この後、ロゼッタはいつも立ち寄るワッフルの屋台で働くリケという青年と顔見知りになる。そして彼を雇用するワッフル屋の社長に執拗に職を求め、なんとかワッフル作りのバイトにおさまる。やがて同じように貧しい境遇にあり、唯一心を許せる相手としてリケとの交友も始まる。

 この映画の中にはいくつかのモチーフが登場する。一つは水。ロゼッタはいつも水筒の水を飲んでいる。この水はキャンプ場の水道から汲んだもので、時に空腹を紛らわすべく、また己の内部のマグマを鎮静するかのように、常に体内を水で満たしている。
 このことに関係するもうひとつのモチーフが、ロゼッタをたびたび襲う持病の腹痛である。ろくな栄養も取らずキャンプ場の不衛生な生水ばかり飲んでいるロゼッタの胃腸には、おそらく雑菌が繁殖しているに違いない。そこに加えて、独りで母親を養いギリギリの生活を続けている彼女は大きなストレスを抱えている。そのことが胃に負担をかける。さらに生理痛も重なるのかもしれない。母がそのようなことを口走るシーンもある。私に似て重いのかもという母の言葉をロゼッタはさえぎり、ママとは違うと断固否定する。体を売る母を嫌悪し、性的成熟を拒否するかのような心理が垣間見える。また象徴的に捉えれば、腹痛は彼女の中に潜むもう一人の自分が、自由を求め外界へ出たがって起こしているのかもしれない。
 そして三つ目のモチーフが覗き見だ。ロゼッタは野獣なので、常に警戒を怠らない。いつも人を物陰から観察している。この人は敵か味方か。友人となったリケにさえ、警戒心を解かず、彼の行動をジッと見つめる。

 ある日、酔いつぶれ正体を失った母を入院させようと病院へ向かう途中の森で、急に母が暴れ出し、ロゼッタは沼へ突き落されてしまう。沼の泥に足をとられたロゼッタは必死にもがくが、どんどん体が沈み溺れそうになる。底なし沼のような状況にある彼女の境遇を象徴する印象的なシーンだ。母に助けを求めるも、すでにどこかへ逃げ去ってしまって、ロゼッタは自力で脱出するしかない。泥水を大量に飲みながらも、どうにか沼の淵へとたどり着く。
 その夜、ロゼッタはリケのアパートを訪ねる。リケは余計な詮索をせず、優しく彼女を迎え入れ、粗末な食事とビールでもてなす。水筒の水を飲むようにビールを一気に飲み干すロゼッタ。リケは間を持たすために、得意の逆立ちを披露したり、自身のバンドの下手くそな演奏テープを聞かせたりする。この時、ロゼッタが初めて笑顔を見せる。いつもの険しい顔から一瞬だけ和らいだ表情になる。
 リケはここである秘密をロゼッタに打ち明ける。彼は自宅でワッフルを作り、それを密かに店で売りさばき自分の儲けにして小金を稼いでいるのだ。違法行為を打ち明けるのは、彼がロゼッタに心を開いた証だ。リケは後にロゼッタにもワッフルの密売をすすめるが、彼女はまっとうな仕事がしたいと拒否する。野獣には野獣なりの誇り高きルールがあるのだ。
 その夜、リケの家のソファで独り寝るロゼッタは自身に語りかける。
 「あなたはロゼッタ」
 「私はロゼッタ」
 「友だちが出来た」
 「私にも」
 「まっとうな生活」
 「失敗はしないわ」
 おそらくロゼッタは、いつもこうしてもう一人の自分と会話をしながら、孤独や逆境に耐えてきたのだろう。胸を打たれる場面だが、例によって冷徹に描写される。ダルデンヌ兄弟の厳しい視点が容易に感情移入を許さない。しかしそれ故に観る者は想像力を働かせ、ロゼッタの内面を推し量る。観客は自分の知覚をもって映画に参加し、映画が余白として残した部分を補完していく。ダルデンヌ兄弟の描写は、余計なものを一切省き、気を抜けば見逃してしまいそうな最小限の表現で観る者の知覚に委ねてくる。

 さて、ようやく職を得たロゼッタだったが、数日もしないうちに突然解雇されてしまう。それはワッフル屋の社長の息子が急に働き出すことになったためだ。この理不尽にロゼッタは猛然と抗議するが、社長が決めたことではどうしようもない。彼女はまたも苦境に立たされる。
 (つづく)






【村上浩康・プロフィール】
1966年宮城県仙台市生まれ。
2012年 神奈川県愛川町で動植物の保護と研究に取り組む二人の老人の姿を10年間に渡って記録したドキュメンタリー映画「流 ながれ」公開。
第53回科学技術映像祭文部科学大臣賞 
キネマ旬報文化映画ベストテン第4位
文部科学省特選 

その他の作品 
2012年  「小さな学校」
2014年  「真艫の風」
2016年  「無名碑 MONUMENT」
現在、東京都に残る唯一の天然干潟、多摩川河口干潟を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作中。

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