能勢広 その映画世界(3)
自身の祖父であるカメラマン・鈴木喜代治氏が原爆投下後の広島に入り、当時の状況を記録したフィルム映像とメモをもとに短編記録映画「広島原爆・魂の撮影メモ」を作り上げた映像カメラマンの能勢広氏。同作へのこだわり、自身が主催するドキュメンタリー映画祭「さがみ人間未来フィルムフェスティバル」への思いなど、その映像世界を全4回で語ってもらった。
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親子三代カメラマンの歴史の始まりは空中撮影
田下:能勢さんは、お祖父さんの代から三代カメラマンの一族なんですよね。
能勢:そうですね。一族のようになってしまいました。
田下:お祖父さんの喜代治さんは、若いころ黒田清輝さんの画塾で絵を勉強なさって、それから、蒲田の松竹の美術部でタイトル画を描いていたということですが、いつごろからカメラマンさんに?
能勢:当時、祖父は南極の観測隊にいた人のお家に居候をしていたんですが、その人のところに「飛行機の撮影をするんだけれど、カメラマン誰かいないか」という話が来て、それを聞いた祖父が「面白そうだから、俺がやるよ」と言ったらしいんです。それで、カメラを習って、いきなり飛行機に乗って撮影をしたのが初めての映画カメラを廻した経験です。
田下:いきなり飛行機っていうのは、空中撮影? すごいですね。
能勢:当時は飛行機がよく落ちたので、乗りたがるカメラマンがいなかったんですね。でも、祖父は「面白そうだから、カメラを教えてくれ」と、まず飛行機に乗って飛んでカメラを廻したのが初めての現場だったらしいです。
田下:当時は、映画がまだサイレントですよね。そのころから映画界に入っていたということは、もう本当に草分けですね。そこから、お祖父さんはドキュメントの世界に入ったんですか?
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