名盤紹介② 坂本龍一

名盤紹介、第1回はチック・コリアだったが、今回はぼくにとって同じくらい重要な坂本龍一を紹介する。チック・コリアの記事は残念ながらいちども売れなかったのだが、それもしかたないかもしれない。あまりに趣味に走りすぎた。せっかく書いたのに読まれないのはちょっと悲しすぎるので、それはもう公開にしてあるのだが、今回も、特にぼくでしか書けないような思弁が展開されるわけでもないのだし、公開して、おもしろかったというばあいだけお金をいただけるようにしておく。

【坂本龍一の代表作はなにか】

通して聴いているファンはべつとして、特にアルバムなど持っていないリスナーにとって、坂本龍一ほど、世代によって「代表曲」が変わってくる音楽家もあまりいないだろう。たとえばぼくの前後の世代、1980年から85年生まれくらいのひとたちだと、1999年に出た『ウラBTTB』という作品のことを覚えており、おそらくそれしか知らないということになるのではないだろうか。CMソングとして使用された収録曲「エナジーフロー」が“癒し”をもたらすものとして、インストゥルメンタルとしては異例の売り上げを記録したのである。正確には記憶していないが、“癒し”云々というのは当時の後付けで、なぜこれがそんなに売れるのか、みたいな分析を各テレビ局とかで行って、そういうコンセンサスになっていったのではないかとおもう。エナジーフローももちろん素敵な曲ではあるが、その他のこれまでの楽曲と比べてとりわけよいかというとそういうこともなく、癒しにかんしても、まあピアノ曲ってたいがいそうだよね・・・ということで、正直あの売れ方には疑問しかわかなかったが、まあいつの時代もそんなものだろう。売れている、ということによって、売れていくのである。村上春樹の作品がたくさん売れたところで、作品が大衆性を獲得した、ということにはならないのと同様である。だが、ヒーリング効果という点では、女優やアイドルなどでも「癒し系」みたいな言い方が増えていたころで、一般にはそのブームの火付け役ということになっている。それなりの必然性はあったのだ。
またぼくよりずっと前の世代だと、やはり坂本龍一といえばYMOであり、東風やテクノポリスや千のナイフが代表曲ということになるかもしれない。YMOを経由しなくても、坂本龍一のばあいは映画音楽の作家という面もある。アカデミー賞を受賞したラストエンペラーやシェルタリング・スカイをあげるひともいるだろう。
特に21世紀に入ってからは、芸術家というか、前衛音楽家としての面を強めていくぶぶんもあり(そもそも西洋の楽器と理論を駆使した音楽にあそこまでアジアの感覚を持ち込んでいったことが前衛なのだが)、そうしたアーティスティックな作品を取り上げるひともいるにちがいない。ぼくは今世紀に入ってからは、再演もの以外はあまり追ってこなかった不心得なファンなのでなんともいえないが、以前テレビで見かけたときは、東日本大震災で津波を受け、壊れてしまったピアノを、自然によって調律された「津波ピアノ」として再構成し、地球で起きている小さな地震までカウントしたグラフをつかったなにかをメロディに変えて・・・みたいなことをしていた。その前に見たときは、樹木の内側に見出せる自然のリズムみたいなものを音楽にしようとしてたなあ。そのあたり、真剣には追ってきていないので言及は避けるが、「津波ピアノ」の番組にしてからが、いったい音楽とはなんなのか、ということを考えてしまう内容で、教授(坂本龍一)はやっぱりいつまでもぼくの教授だと、このひとへの信頼を新たにしたのだった。
ちなみに、こうした前衛音楽は現在の教授の社会活動家としての面と表裏一体であると、一般には考えられているものとおもうが、ぼくは、あくまで教授の音楽的活動、深まる音楽というものへの思索、というふうに見るべきだと考える。社会活動は、きっかけにすぎず、前提として、教授は音楽家なのだ。

【スタティックな坂本龍一】

こういうわけで、なにが代表作かということでは意見が割れるとおもうのだが、もっとも全世代に知られている曲といえば、やはり映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲、「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」だろう。たんに名曲であるだけでなく、たとえばピアノがまあまあ弾ける芸人が腕を披露するときとか、芸能人ピアノコンテストみたいなので出場者が選んだりするときとか、ことあるごとにテレビの向こうから響いてくるのである。
そして、人気があるからなのか、教授じしんが気に入っているからなのか、それはわからないが、この曲は教授じしんも数え切れないほど録音してきている。
もとは、くりかえすように、大島渚監督作品で、デヴィッド・ボウイやビートたけしなども出演している映画のメインテーマである。じっさいに音楽が使用されるのはエンディングのみだったと記憶している。当時ぼくはこの曲の出自をよく知らないまま、坂本龍一の演奏と楽譜だけ手に入れて、ごりごり練習していた。愛聴していた教授じしんの演奏も美しいもので、ぼくはかってに、こう、吹雪の雪山的なところで、故郷においてきた愛する家族のことを思い出しながら死んでいく兵士、というようなシチュエーションを想像していたので、ビートたけしが最後の場面で元気いっぱいに「メリークリスマス」というのをみたときは非常に面食らってしまった。が、そこに死の気配があったことはまちがいなく、あのたけしも、翌朝死刑にされるというところだったのである。
原曲はシンセをつかっているが、その後、バンド形式や、ピアノ三重奏、オーケストラ、ソロピアノなど、さまざまな編成でセルフカバーされている。基本的には、8小節の印象的な旋律を延々とくりかえしていく。途中、8小節だけ別のメロディが展開されたり、エンディングに向けてリズムを刻むようになったり、多少の変化はあるが、金属的な音色と一定の音量含め、禁欲的なそのくりかえしが、宗教的な荘厳ささえかもしだすようになっている。
しかし、その後の演奏では、このくりかえしのパターンにおいてどのように変化をつけていくかということが、演奏ごとに異なるほどの頻度で行われている。
同時期に出された、このサウンドトラックをソロピアノで演奏した『Coda』の演奏が、たぶん原曲にもっとも近い、ニュートラルで、やはり禁欲的なものになっている。たぶん、音楽的な変遷という視点でいうと、当時の教授はこういう音楽を目指していたのだ、ということなのだろう。

ぼくがいちばん気に入っている戦メリの演奏は、1995年に発売された『ベスト・オブ・坂本龍一 サウンドトラックス』に入っている、オーケストラによるライブ演奏である。このCDじたいには音源の情報は書かれていないのだが、どこかで1988年の『プレイング・ジ・オーケストラ』のときのものだというのを読んだ記憶がある。詳細は不明。こういうベスト盤は、キャリアの長い音楽家ほどたくさん出しているし、ベストというものはすぐ更新されてしまうから、息が短いものだが、調べてみたらまだふつうに手に入るようである。
実を言うとぼくは戦メリのサウンドトラックはもっていない。いちばん最初に買った坂本龍一がなんだったのかはちょっと覚えていないのだが、たぶん『グルッポ・ムジカーレ』というベストアルバムだったのではないかとおもう。調べてみたがこれもまだ流通しているようである。1978年に千のナイフでデビューしてからの活動の集大成で、のちに個々のアルバムも聞くようにはなったが、トータルで見ていちばん聴いたのがこれだった。ただ、なぜか「チベタン・ダンス」という名曲が入っていなくて、これは『グルッポ・ムジカーレⅡ』のほうに入っている。この『グルッポ・ムジカーレ』に入っている戦メリは、オリジナルのシンセのものだった。ぼくは同時期にピアノを独習していたのだが、人生で2番目に覚えた曲がこの戦メリで、オリジナルのほうはどうしても、ピアノの演奏とちょっとちがうなあという感じがしていたのである。そうしたところで、かなり早い段階だったとはおもうのだが、上記の、サウンドトラックのベスト盤も手に入れたのである。その演奏はなにより、ピアニストの作曲家がオーケストラを編成するときにありがちな「ピアノ+オーケストラ」になっていないのがすばらしかった。オーケストレーションに必然性が感じられたのだ。教授はピアニストというより作曲家なので、演奏じたいはじゃっかん揺れがあるのだけど、それがむしろよい効果をもたらしているようにもおもえる。原曲では、オンビートの、なにかこう、べったりしたところのあったあのメロディが、なにか繊細さのようなものを宿し、耽美的なかよわさのようなものが引き出されているのである。また、こまかなアレンジ、楽器の変化など含めて、同じパターンのくりかえしというところも、ただ禁欲的であるだけでなく、ある種の「言い換え」のようになっているところもたまらない。ラヴェルの「ボレロ」が、クレッシェンドしていくなかに、楽器の変化にも注意を払っていることと似ているかもしれない。

どの段階から教授が、ピアノ演奏に人間的な揺れを宿すようになったか不明だが、これは、『1996』というピアノとバイオリンとチェロの三重奏あたりにつながっていく発想だったのかもしれない。
このプロジェクトでは、戦メリやラストエンペラーなどの映画音楽に限らない、過去の優れた作品を演奏しなおしており、そればかりでなく、どの曲にかんしても、トリオ向けにアレンジを小さくしているのが印象的だ。ぼくが高校生の時分に演奏していた「ラストエンペラー」の楽譜は、映画に使われているオーケストラ版をアレンジしたもので、たいそう難しかったのだが、この演奏をきっかけにして、流通しているラストエンペラーの楽譜はすべてシンプルなものに変わっていった。また、のちの『/04』『/05』のようなソロ作品では、ピアノのみで構成しつつも、独創用の譜面ではない、連弾や複数のピアノの多重録音などが行われているが、このへんのアレンジの祖形はこの『1996』なのではないかとぼくは見ている。
ちなみに、その系譜として出てきたとおもわれる「エナジーフロー」だが、これは『ウラBTTB』というシングルに収まっている。その名が示すとおり、『BTTB』という作品も出ていて、こちらも名曲ぞろいだ。最後にYMO時代の名曲「東風」の連弾バージョンが入っている以外は、すべて新曲である。とりわけ冒頭の「opus」、のちにいくども再演されることになる「aqua」など、非常に美しい音楽ばかりである。

【ダイナミックな坂本龍一】

おもにピアノ演奏をめぐる坂本龍一は、こうしたところでおさえられる。2009年に行われたヨーロッパツアーでもほぼ同じアレンジ、発想、構成による、ピアノ2台の演奏が行われていて、現在まで続く「スタティックな坂本龍一」の根本はこうした作品にあったと考えられる。だが、坂本龍一は静かで癒しなだけではない。YMOの前にはジャズギターの渡辺香津美による『KYLYN』に参加しており、特に初期の作品では即興演奏やそれに類するダイナミックな演奏も、数多く見られるのだ。
ソロデビュー作のタイトル曲である「千のナイフ」は、教授のそうした面の、最初にして最高の傑作である。ジャズ含めて、ぼくは数多くの楽器音楽、いわゆるインストゥルメンタル音楽を聴いてきたが、これほどかっこいい音楽はほかに知らない。冒頭にヴォコーダーを通じて教授が朗読する毛沢東の詩など、時代を感じさせるものがないではない、というか全編通して時代がかっているが、それがまたいま聴くとフレッシュである。琴をつかっているとおもわれる速いテーマに引き続き、ゴスペル的な分厚い和音の美しいフレーズがあらわれる。演奏に参加している渡辺香津美はアドリブもきかせている。これは、YMOをのぞくと、長いあいだセルフカバーのなかった曲なのだが、『/05』で、連弾というかたちで実現することになった。そしてこのアレンジも見事である。八分音符を三つずつくくる機械的なパターンによって、ロゴスではない、いびつさのなかから身をよじるようにしてリズムが生まれてくるソウルの感覚が、同一人物の多重録音による連弾という状況のなかで躍動的なリズム感を生み出しているのである。ぼくもこの『/05』版の譜面で千のナイフを弾いていたけど、ソロではそのぶぶんが再現できないので、なかなかもやもやしたものだ。しかし、独奏のばあい、左手で行うことになる跳躍が、リズムの大切さを教えてもくれる。弾いていてもっとも楽しい曲でもあるのだ。

同じ系統の曲で「黄土高原」もよく聴いたし、よく弾いた。もとは『未来派野郎』に入っていたものだが、「千のナイフ」とともに、『グルッポ・ムジカーレ』はこのあたりをすべておさえているのでおすすめである。ただ、「黄土高原」のダイナミズムが真に開花するのは、『メディアバーンライブ』というライブ作品である。知らなかったのだが、このライブではどうやら打ち込みを使わず、すべて人力で行うことが目指されたらしい。「黄土高原」は非常に美しいメロディラインを備えているが、そのバックでは、パーカッション的にキーボードをつかったパターンがずっとループしている。これが、ライブ演奏では再現が難しいということで、サポートキーボードのかたの新しく考えたシンプルなパターンが採用されたようである。そしてこれがすばらしいのだ。明確なメロディがあっても、パーカッシブであることは可能なのだということがわかる。

ほぼ同じ時期の『音楽図鑑』というアルバムは、全体で名作なのだが、やはり冒頭の「チベタンダンス」である。ここまでアジアの感覚を押し出していてかっこいい曲というのを、ぼくはそれまで知らなかったのだ。ジャズから音楽に入っていった僕にとっては、アジアの感覚というのはどちらかといえばちょっとださい部類のものだった。旋律もそうだけど、基本テーマが5小節というのも新鮮だった。当時ぼくはシンセサイザーで作曲もしていたのだけど、完全にオリジナルだとおもって完成させた曲が、冷静に聴いてみると5小節ごとの展開になっていて、しかも音階までほぼいっしょだと気づいたときには、愕然としたというか、いくら影響受けやすい人間とはいえ影響受けすぎだろと、じぶんの才能のなさにがっくりきたものである。

こうしたところだが、名盤紹介になっていないことにいまごろ気づいたので、以下にオススメ曲の収録アルバムタイトルと型番(商品番号)を記しておく。


・ 「メリークリスマス、ミスターローレンス」オーケストラ版→
ベスト・オブ・坂本龍一 サウンドトラックス』VJCP-3111(ラストエンペラーのテーマ曲も収録)
・ 「opus」「aqua」→
BTTB』WPCL-12924
・ 「千のナイフ」→
千のナイフ』COGQ-87
・ 「黄土高原」→
未来派野郎』MDCL-1245
・ 「チベタンダンス」→
音楽図鑑』MDCL-1243
・ 「千のナイフ」、オリジナル版「戦メリ」、「黄土高原」、「ラストエンペラー」収録→
グルッポムジカーレ』MDCL-1046
・ 「チベタンダンス」、ソロピアノ版「戦メリ」収録→
グルッポムジカーレⅡ』MDCL-1237
・「黄土高原」の別アレンジ収録、その他名演多数→
メディアバーンライブ』MDCL-1246


ついでにせっかくだから楽譜の情報も。

・ 『ピアノ曲集/坂本龍一』(ISBN 9784773206357)
↑ラストエンペラーの古いアレンジが入っている。それ以外の収録曲は↓とほぼ同じアレンジ。
・ 『坂本龍一ベストピアノ曲集』(ISBN 9784773223927)
↑『/04』『/05』以後に出たもの。上のものと同じ出版社なので、黄土高原など、ラストエンペラー以外のほとんどの作品のアレンジはそのまま。しかしこちらのほうがはるかに収録曲が多い。ただし『メディアバーンライブ』で演奏された「ジムノペディ」や、「ちんさぐの花」など『BEAUTY』収録作品は入っていない。
・ 『Avec Piano』(ISBN 97844111903009)
↑『戦場のメリークリスマス』のサウンドトラックを、ソロピアノ用にアレンジした『Coda』、その楽譜。坂本龍一じしんが採譜にかかわっている、いわば公式楽譜。装丁も美しく、オリジナルノートなどもちょこちょこ載っていて、この曲を極めようというひとは必携かと。そのほかにも「The Seed And The Sower」とか、きれいな曲はいっぱいあります。

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