名盤紹介① チック・コリア
ぼくの音楽的たくわえがどの程度のものかご理解いただいたところで、どうやって書いていこうかなと考えたが、ピアノを弾きはするものの、あくまで筋肉と集中力だけで弾いているというようなところがあるから、音楽理論的なことが書けるわけでもないし、ここは漫画家考察の記事群と同様に、ミュージシャンごとに、胸打たれた作品を、基本的な用語など説明しながら、のんびり紹介していくことにする。第1回はチック・コリア。
【基本的な用語など】
以下、まずは、まったく音楽に知識のないかた向けに基本的なことを書いておきます。
チック・コリアのキャリアとしては、ハービー・ハンコックの後任としてマイルスバンドのピアニストになったことが大きいかとおもうが、単独作品では1968年のトリオ作品『ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス』が最初のインパクトであったろうとおもう。ここでいうトリオとは、ピアノ、ベース、ドラムスの三人編成ということだ。ベースというと、ギターみたいに首からぶら下げた四弦の楽器が思い浮かぶかもしれないが、断りがないかぎり、通常モダンジャズにおいてベースというときにはコントラバスを指す。あの、人間サイズのバイオリンである。これを、指でぼんぼんはじくのだ。
基本的にジャズでトリオというときはこのかたちになる。もし四人になればそれはカルテット、通常、このトリオに、サックスやトランペットなどのリード楽器がひとつ加わったかたちで、五人編成のクインテットとなると、リード楽器がふたつということになる。デュオということであれば、要するにデュエットということだから、ふたりで演奏することになる。
宝塚歌劇などがジャズをテーマにショーを構成することはよくあるが、そういう場合のジャズは、たいがいスウィング・ジャズを指していることが多い。ベニー・グッドマンとかグレン・ミラーの音楽で、時代的には1930年くらい、スコット・フィッツジェラルドの小説とかアル・カポネの映画とかの背後に流れている感じの音楽だ。金管楽器や木管楽器をたくさん並べて、構成とハーモニーで聞かせる、メロディに重点のおかれたビッグバンド形式のダンスミュージックである。「ムーンライト・セレナーデ」とかを思い浮かべてもらえればよいだろうか。
だが、ここでいうジャズとはモダンジャズのことで、1940年代から50年代くらいに「ビバップ」という呼称で完成した即興音楽のことである。くどいようだがぼくはくわしい音楽理論を語れないので、大雑把に読んでもらいたいが、原則的に、モダンジャズの音楽は「テーマ」と「アドリブ」にわかれている。テーマとは、作曲されたメロディのことで、まずこれをみんなで演奏する。続いてソロパートに入るが、このとき、テーマの底のぶぶんを流れていたコードだけは残って、繰り返し演奏されることになる。コードとは、五線譜のうえのところに書いてあるBとかGmとかいう記号のことで、音楽の該当するぶぶんの枠組みとなる和音のことだ。たとえば、チック・コリアの代表曲である「ラ・フィエスタ」は、E→F→G→F→Eというコード進行になっていて、このうえに、「ミレミ~、レファーレ~・・・」というふうに主旋律がおかれている。この曲のばあい、まるでサビのように、このコード進行とは別の美しい旋律も用意されているが、テーマがひととおり終わったところで、ソロがはじまり、ソロをとっていないものは伴奏にまわって、そのうえで、ソロをとるものはアドリブをしていくことになる。ほんらいは、このコードが旋律を設定するようで、そのあたりも説明したいところだが、むろんそこまではぼくも理解して聴いてはいない。テーマをみんなで演奏したら、伴奏は引き続きくりかえし行われながら、ソロを担当するものがアドリブを行っていくと、こんなふうな理解でよいとおもう。
こういう方法が、「スタンダード」という概念を持ち込んだと考えられる。スタンダードとは、みんながよく知っている楽曲のことだ。といっても、スタンダードがジャズとして演奏された段階がすでにはるかむかし、ということのほうが多いので、ぜんぜん知らないこともあるのだが、わかりやすいスタンダードとして、ミュージカルの音楽やディズニーの曲が採用されることもけっこうある(オスカー・ピーターソンの「ウエストサイドストーリー」、ビル・エヴァンスの「いつか王子様が」)。そして、それがジャズとして演奏されるというのは、つまり、まずみんながよく知っているメロディ、テーマが演奏されたあと、その曲に対して解釈をほどこしていくように、各演奏者がアドリブをくりだしていくということなのである。スタンダードの楽しみは、よく知られたあの曲を、あのひとはどうやって料理するのか、というところにあるわけなのだ。
さて、マイルスバンドやスタン・ゲッツの作品で頭角をあらわしたチック・コリアは、『ナウ・ヒー・シングス・・・』で正統派ジャズピアニストとしての実力が評価されるようになったようである。音の粒がひとつひとつ独立しているような独特のタッチで、いま聴くとむしろデジタルな感触さえある。この作品のベーシストであるミロスラフ・ビトウズは、ウェザーリポートの初代ベーシストでもある。
【リターン・トゥ・フォーエバー】
同じ時期、フリージャズといって、コード進行のない音楽もチック・コリアはつくっていて、それじたいはけっこうおもしろいのだが、もし聴くとしてもそれはずっとあとのことでいいとおもうので、やはりまずはぼくが最初に手に入れた作品であるところの『リターン・トゥ・フォーエバー』を紹介しておこう。
前の記事で書いたように、フュージョン音楽という、ジャズと、その他ラテンなどの音楽が融合した音楽の走りはマイルスではあるのだが、大衆レベルで定着させたのはやはりこの作品ではないかとおもわれる。それでいて、なにかこう、「ジャズ的なもの」の強度もすばらしく、玄人の評価もかなり高い。同じ1972年には、まったく同じ編成で『ライト・アズ・ア・フェザー』という作品も発表されており、収録作である「スペイン」はチック・コリアの作品でもっとも有名なものとなり、現代ではもはやスタンダードのひとつである。
編成としては、フルートとソプラノサックスをジョー・ファレル、ベースが、のちに「リターン・トゥ・フォーエバー」をバンド名としてからも活動をともにすることになるスタンリー・クラーク、ボーカルと補助的なパーカッションをフローラ・プリム、ドラムスをアイアート・モレイラが担当している。
チック・コリアにラテン系の血が流れていることは書いたが、現在まで一貫しているその独特の感性をのびのびと開かせたのが本作だ。通常の作品ではやはりそのあたりあくまでニュアンスにとどまるものが、作曲のアイデアといい、リズムの発想といい、存分に発揮されているという印象である。それを、構成的にはジャズの文法のうえで行う。
ぜんたいでももちろんくりかえし聴いたが、ぼくがもっとも好んで聴いていたのはやはりその名曲「ラ・フィエスタ」だった。当初ぼくはカセットテープの再生装置しかもっていなくて、頭出しの機能などもなく、心細い夜など、それだけを聴きたいとき、だいたいこのあたり、と見当をつけてまき戻しなどして聴いていたものである。いまの若い子は知らないだろうが、当時は録音ソフトとしてMDというものもあったのだが、これはたぶん中学生くらいになるまで持たせてもらえなかった。
「ラ・フィエスタ」は、「スペイン」と並んでチックの代表曲となったが、「スペイン」がスタンダード化していろいろなひとに演奏されていったのに比べると、ラ・フィエスタはそういうことはない。むしろ、チックじしんによる再演が多い印象である。
【イン・コンサート チック・コリア&ゲイリー・バートン】
もうひとつ、異色ではあるが、ジャズということをつきつめた名作として、これは欠かすことができない。ヴィブラフォン、またはヴァイブと呼ばれる楽器をつかうゲイリー・バートンとの、一連のデュオ作品である。特に、1979年チューリッヒでのライブをおさめた本作が最高傑作だ。
ヴィブラフォンは見た目鉄琴みたいなもので、ピアノと同じ順番に並んだ板をマレットで叩く楽器だ。マリンバ同様共鳴管がついているのが特徴だそうで、ゲイリー・バートンもときどきマリンバをつかっている。ジャズの世界では、ライオネル・ハンプトンとかミルト・ジャクソンといった名手がいるから、わりとメジャーな楽器だ。
ゲイリー・バートンは、その演奏の速さもさることながら、マレットを4本つかって演奏するという姿がすさまじい。ふつうに親指と人差し指のあいだに握る以外に、中指と薬指のあいだにもひとつずつはさんでつかうのである。さすがに4本がそれぞれべつに動くということはないようだが、2本だけ使って演奏しつつ、和音を必要とする際に、自在に残りの2本が出てくる感じだ。しかし、これもすさまじい速度で行う。それも、このひとのばあいはそれが器用貧乏みたいになっていないのがすばらしい。チック・コリアもたいへんなテクニックの持ち主ではあるが、その演奏速度、また展開についていけるだけの技量をじゅうぶん備えているのである。ピアノに比べれば、ほんらいヴィブラフォンの奏でる音の量というものは知れたところのはずだ。だから、ふつうは、ピアノとのデュオということになれば、ヴィブラフォンは管楽器的な、ピアノより強い音を出すリード楽器的な用いられかたをされて当然だろう。だがゲイリー・バートンはスピードでピアノに匹敵する。これが、ちょっと考えられないほどのハーモニーを生み出すのである。
そして、ちょっと聴いただけではわからないのだが、彼らは演奏のほとんどすべてを即興で行っているのだ。こういう、演奏者間での音楽的やりとりのことをインタープレイという。たとえば、ごくたんじゅんな例でいうと、ソロをとっているものが、同じパターンのメロディをくりかえしはじめたら、それを聴いている伴奏者たちは、それに合わせて、強い音のところでシンバルを鳴らしたり、あるいははずしたりして、音楽を躍動的に組み替えていく。デュオになるとこれが非常に繊細なものとなる。じぶんと相手しかそこにはいないからだ。
ふたりの作品はけっこう出ているのだが、スタジオ録音よりライブ作品のほうが、アドリブ、またインタープレイの面において緊張感の高い仕上がりになっている。そういう視点で、本作はやはり最高傑作である。また、ちょっと例外的なものになるが、1997年に『ネイティヴ・センス』というスタジオ録音を発表したあと、毎年行われているモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した映像があり、これもたいへんすばらしい仕上がりだ。これはいちぶテレビでも放映されて、「ラ・フィエスタ」などが演奏されたその録画を、ぼくはなんども見ていたのだが、じっさいのコンサートはもっと長いもので、その完全版みたいなのがDVDで出ていることを知ったときは狂喜したものである。このDVDでは特にチックのバッキング、つまり、ゲイリー・バートンがソロをとっているときの屈託のないプレイに注目してもらいたい。
同様のデュオ作品として、なんとチック・コリアとハービー・ハンコックがピアノ二台で競演した作品が2作出ている。どちらの名前が先になっているかのちがいで、おそらく名義を変えているということになるのだろうか。特にぼくはハービーの名前が先になっているほう(『AN EVENING WITH HERBIE HANCOCK&CHICK COREA』)をよく聴いたが、ある程度耳が肥えてこないとどっちがどっちだかわからないかもしれない。息は合わない。天才ふたりの感性が鋭角的にぶつかりあう、ひどく特殊な音楽だ。しかしそれぞれのソロはたしかなものであり、そうしたぶつかりあいも、ほかではまず見られない演奏という点で、まれなものだ。特に、やはり「ラ・フィエスタ」の、双方のソロ、いったいどこまでの高みにいくのかという疾走感は、いま久しぶりに聴き返したけど、ちょっと、すごすぎる。鳥肌たちっぱなしである。
【アコースティック・バンド エレクトリック・バンド】
80年代の活動としていちおう紹介しておいたほうがいいだろうが、このころからチックは若手のフックアップをするようになる。ベースのジョン・パティトゥッチ、ドラムスのデイブ・ウェックルのふたりをサイドに、その他のメンバーを加えたものがエレクトリック・バンドで、トリオとして独立したものがアコースティック・バンドである。チック・コリアは、とどまることのない創作意欲からさまざまな活動を行っており、それがある種の軽さととらえられてきたところがある。ぼくも別にそれを否定はしない。たしかに、チックにはこう、飽きっぽいところもある。80年代の活動も、ぼくは特段愛着することもなく、ふーんという感じで聴いていた。しかし、アコースティック・バンドの演奏は、コピー譜を弾いていたこともあり、よく聴いていた。特に「モーニング・スプライト」という、このときにつくられた名曲だ。非常に複雑な展開を、ものすごい速さでくりだしていく曲で、若手ふたりによってもたらされたチックのアイデアがいっぱいつまった1曲だ。ライブ盤のほう(『ALIVE』)は演奏も非常にスリリングになっている。
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