サピエンス全史【2章残り〜3章】自明なものを問い直すきっかけにはよさそう
歴史と生物学
「文化」の定義というか、言葉の説明が鮮やかやなぁと感心した。
「想像上の現実の計り知れない多様性とそこから生じた行動パターンの多様性」その文化の止まることのできない連続性を「歴史」と呼ぶ。
う〜ん、好き。博識さが伝わってくる。
文化や歴史なんて、自明のものと思って受け入れてたから改めて言葉にすると、納得感がある。
第2章の終わりのこの見出しでは、生物学的な行動制約から抜け出して、歴史を生き始めた、狩猟採取時代に話を移していく。
【3章】狩猟時代
進化生物学
現代の都市生活は約200年、それ以前は農耕時代が1万年くらい、そのまえの農耕時代はもっと長い。よって、我々の遺伝的制約が、現代になっても顔をのぞかせるという進化生物学の事例を紹介される。
たとえば、食物は豊富にあるのに先進国では肥満が問題になるくらい食べまくるのか?など。
理屈としては、狩猟時代にはカロリーの高い食物があまりなく餓死の方が危険だったため、イチジクなどを見たらその場ですべて食べるのが合理的だったから、その習慣が「肥満遺伝子」に刻まれているという感じだ。
LEP遺伝子、FTO遺伝子なる、肥満リスクを高める遺伝子が特定されているのは事実のようだが、、遺伝子にどれくらい還元できるのかは、はなはだ疑問だと思う。
・狩猟採集集団の、「コミューン説」と「一夫一婦説」
一夫一婦説は、今の文明生活の一部では一般的な常識なので普通だが、コミューン説の考え方はおもしろい。
ベネズエラの先住民バリ族のような集団では、「子供は単一の男性の精子からではなく、女性の子宮にたまった精子から生まれると信じられている」という。
え!マジで!?
いま言ったらヤバそうな言説だなと思いつつ、GPTを活用してみる。
どうやら妊娠中に、優秀な戦士、優秀な雄弁家、狩猟のできるもの、思いやりのある恋人の素質、の全部取りできるという考え方らしい。
今の常識から考えると衝撃的に思えるが、発生学が発展するまでは、単数の父親の単一の精子から胎内に宿るなんて確証はなかったとのこと。
いや、確かにそうだわ。あたりまえに受け入れてるけど、発生学的な知識がないと、単一の精子から発生していると考える自明性はない。
もちろん一夫一婦性は、現在の多くの文明社会で、ある程度共通前提になっているので、古代から一夫一婦性をとっていた集団もあったというのが、落ち着いた結論になりそう。
現代の狩猟採集民族の研究と農耕以前
古代とは違うが、現代の狩猟社会を観察するのは有用だよねという話をしつつ、イギリス征服前のオーストラリアには200〜600万の部族に分かれて暮らしていたなどさらっとおもしろそうな情報が書かれている。
さまざまな価値観に分かれていて、父系の血筋を大事に考えていた部族もあれば、母系に重きを置いた集団もあった。
つい最近の話でもそれなのに、翻って古くにさかのぼると、極めて多様な生活形式や信仰体系があって、おそらく現代からは推察もつかない広がりがあるだろうと述べている。
・農耕以前の一般的に言えること
農耕以前は、集団の構成員は人類だけだった。つまり家畜化された動物がいなかった。ただひとつ、犬は例外で1万5000年前くらいから家畜化されていたそうだ。
狩猟採集以前と比較し、脳の平均的な大きさは縮小した説を引用して、狩猟採集以前の人は、自然の危険を察知し、天気について知り、玄武岩の特性を調べたり、全員すぐれた能力を持っていなければならなかったが、農耕しだすと他社の専門分野に丸投げできるようになったので、「凡庸な遺伝子」でも生き残れるようになったとある。
著者の「凡庸な遺伝子」という言葉の文脈があまりわからなかったが、GPTに聞いてみると、あ〜俺もそっちの方がしっくりくるわと思った。
だが現代に敷衍して考えてみると、社会側にモノサシが少ない状態って、適応度の低い遺伝子群には極めて不都合だよなぁと改めて思ったりする。社会を構想するときは、生物学や生態学の知見は、もっと重視されるべきではないかと感じた。それから、クリスパーキャス9などのテクノロジーの利用に関しても、なぜ役に立たなそうな遺伝子が残っているのかなど、極めて慎重に扱うべきトピックになると思う。
ようやく第3章まで進んだ。たまにマジで!と思うような記述が出てくるからおもしろい。定住以降、そしてここ200年くらいで出来上がった常識ががんじがらめのように感じられたら、あぁほとんどは昔から自明なものなんじゃないと、少しは楽になるかもしれない。他人の不倫問題とかで、ぎゃーとなってる人たちに一読を勧めたい本だなと思った。
おそらく自分が思っているよりも、もっと世界は広く深く複雑で、でたらめで、人間もヘンテコリンな存在だと思っていた方がいいかもしれない。