われわれは小麦の主人か奴隷か?サピ全【5章】
ようやく第5章、農耕生活の歴史に入る。
狩猟採集よりかは想像つきやすいから、やっと馴染みある説明が増えてくるだろうなと思っていたのだが、なぜ農耕生活に移行したのかの解説が非常に面白かった。
無意識に小麦の奴隷になって、楽しようとした祖先たち
著者の主張が、大変おもしろいのは人類が家畜化したと思っている小麦の側から、この農業革命を論じていることだ。
小麦からの視点に立ってみると、ホモ・サピエンスに収穫物を提供するメリットを与える見返りに、害虫の駆除や水の供給、土地の整備などを施してもらって自らも優位に繁殖をしようとした。
ホモ・サピエンスからみると、個人レベルでみると農業革命以前の生活のほうが、問題は少なかったが、食料を安定的に獲得できるようになり、狩猟採集のときのような不作を減らすことができるようになった。
一方でたくさん、問題も抱えことになった。収穫物を保存している集団との紛争や、縄張り争いなどが頻発したり、集団にヒエラルキー構造ができて、格差が生じるようになる。
個人レベルでは進化論的に考えると、ヘルニアや関節痛などが我々を悩ますのは、農業革命が起こったことによるとする説もある。
Rothschild, B. M., & Martin, L. D. (2006). Skeletal impact of disease. New Mexico Museum of Natural History.
祖先たちは、収穫物の計算可能性とちょっとした安心感のおかげで、出生率を上げることができ、集団としてのDNAの繁殖を無意識に選んだとも考えられる。人類は問題を抱えることをわかってはいたが、繁殖のために進んで「小麦の奴隷」のなったのかもしれない。
その結果、集団としての繁栄はうまくいき、農業革命が約1万年前から、約7000年後の紀元前1世紀までの間で、人口は数百万から2億人に増加したと推定する説もある。
Potts, R. (1996). Humanity's Descent: The Consequences of Ecological Instability. William Morrow and Co.
単純に楽に繁殖ができることを求めた以外の説もある。
ある価値観を貫徹するための目的が先という説だ。
繁殖ではなく、宗教的あるいはイデオロギーの目的が先か
繁殖にとって、食物の安定をとって農耕をはじめたという説がある一方、文化的あるいは宗教的な目的が先にあって、農耕をはじめたのではないかと考える説もある。
例えば、古代史の紹介などで出てくる、謎の施設の2つに違いがある。
年代的にストーンヘンジは、農耕社会が生んだ産物だった。農業革命を経て、収穫に余裕が出てきたから、ストーンヘンジのような文化的もしくは宗教的な施設が建てられた、という説明は納得感がある。
余裕が先にあって、文化が生まれたと考えるのは、説得的だ。
しかし、おもしろいことに、ギョべクリ・テペという施設は、多大な労力が必要だと見積もられているが、狩猟採集時代に作られたものだと推定されている。つまり、神殿(文化あるいはイデオロギー)が先にあって、その建設の労働者を養うために小麦などの農地を作ったと考える説もあるということだ。
この両者の違いは、現在のわれわれが、自分たちのことをどう捉えるかの認識体系にも影響しそうな重大な問題ではないかと思った。われわれは繁殖のためのDNAの「Vehicle」に過ぎないのか、力強いミーム(あるいは物語)があれば、DNAの制約をいとも簡単に超えられる存在だったのか。さらなる発見を待ちたい。
農業革命の犠牲者たち
農業革命が変えたのは、私たちの生活形式だけでない。
人類の家畜にされた動物たちは、多大な犠牲者となった。
生産のためだけに、乳を出したり、太せられたり、子を生まされ、鋤を引くために鞭を打たれた。
ただここにきて、ビーガンな人たちや昆虫食や代替肉といった新しい「ミーム」が共有されてきているのは、おもしろい現象だと思う。
そして、ここまでで思うことは、今わたしたちの生活を形作っていることが、ほんとうに偶然の塊でしかないのではないかということだ。
実はどうとでもあり得たいま現在の形式も社会も、たまたま農業革命が起こって、たまたま残った個体がいて、動植物たちも勝手に農業をはじめた人類たちに振り回されたに過ぎないという感覚だけが残る。
いま自分がいるのもたぶん、たまたまでしかない。
この先も繁栄を謳歌するのか、消えてなくなるか、それもたぶん、たまたまだろう。