夫婦別姓について考えたメモ
日本において、氏をともにするのと戸籍と天皇制が、抽象的には密接に繋がっているだろうから、遅々として進まない。
いまだに田舎では公道の清掃やごみの仕分けなどの役務は、持ち家の家庭の家単位での参加がカウントされている。神社も氏子による管理だ。
ただ、人口も減り、昔の家庭の定年後のような縁側でお茶を一杯みたいな生活を送れる人が少なくなったのか、勤めている人の余裕もないのか、地域の管理が行き届かなくなっているように感じる。
エマニュエル・トッドは、家族の形態と社会のあり方は大いに関連があると主張しているが、いずれにせよ核家族化への流れは、たぶん逆方向にはならないと思う。これだけ高齢化が叫ばれるなか、田舎では空き家は増え、新築の家がばんばん建っている。世帯数は近年は増えていたのだ。
選択制なので、当人が決めれるのだから、そんな慎重になる必要ないと思うのだが、どうなのだろうか。
そして、根本を議論するなら、家族のあり方、核家族化と地域の管理、共同体のモデル、戸籍廃止、天皇制まで、誰かが切り込まなくてはならない問題のような気がする。