何でもいいが一番困るネ
とりあえず何かしよう、だったり、何か書きたい、だったり。
よくあるものだと今晩の夕食のメニューだったり。せめて何かにしぼって欲しいところはある。選択肢を広くすることは自由への一歩だけれども、絞り切らないことによって何も選ぶことができない不自由へとも繋がっている。広すぎて思考が停止してしまうのだ。絞り方を学んでいないから。
グループディスカッションや会議などで色んな意見が出ることがある。ブレインストーミングという手法もある。複数の人間が集まればよい考えも生まれるし、視野が広がる。あまりカタカナ英語は好きじゃないんだけどクリエイティブ的な何かに繋がるのかもしれない。
でもきっと会議は長引くことが多い。グループディスカッションは制限時間に追われて半ば強制的に多数決か発言力の強い人の意見へと集約していく。これらって、きっと絞り方を知らないんだと私は思う。他人事じゃない。「なんでもイイヨ」はこの世に溢れてる。「今日のnoteは何を書こう。書くことねえよ。何かせめて毎日お題くれよ」って思った私へも届けるべき言葉だ。ちなみにnoteには『お題』というタグが用意されている。利用者の気持ちにたっているイイサービスだと思う。素晴らしい。採用したいお題はなかったけれど。
これらの問題に対しては、何か一本の軸をあらかじめ用意しておきたい。世の中は意外にも(もしかしたら常識なのかもしれないけれど)トレードオフでできているので、軸がないとどれもが良い選択肢になってしまうのだ。全部を完璧に満たす選択肢なんて、ない(トレードオフはカタカナ英語だけど好きだ。なぜだろう)。
今晩の夕食は魚に決めたとする。スーパーには色んな魚が並んでいる。
価格的にはAがいいし、種類でいうとBがよい。でもグラム的にCが一番食べれる・・・。今日の夕食でなければ消費期限が長いのも選択肢に入るかもしれない。割引やタイムセール対象かどうかも悩ましい所だ。いつもより安く買えるのだから。
軸はいろいろあって、どれかの軸に寄り添えばどの選択肢だって正しい。総合的に評価するとしても、軸の優先順位は必要だろう。重みづけという。
迷ったら、一番大事なことってなんだっけと自分に問いかけるといいのかもしれない。集団での意見をまとめるときにそう切り出すのは難しいかもしれないけれど。さりげなく意見出しの前に共有したいところだ。
私は何の為にnoteを書いているんだっけ。どんなことが書きたいんだっけ。きっと私は、明日も問いかけながら書いていく。
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