生きた証としてのnote

何のために生きてるんだろうって思ったときがあるとして.

大抵はご飯をちゃんと食べてないときか,よく睡眠をとれていないときか,運動不足の時の思考なのだと思っています.あくまでも私の場合ですが.

「ちゃんと息ができない」,「呼吸をする」という言葉が(それらは精神的に苦しいという意味の比喩表現として)よく詩や歌,物語の文章に使われていることがありますが,まさにご飯食べてなかったり運動さぼったりすると呼吸が下手くそに私はなります.脳にうまく酸素が行かなかったり,血液の巡りが悪かったりするんだろうなって思ってます.詳しくないけど.

睡眠もそうで,深夜は頭が理性的に動かなくなるらしいとかなんとか.夜更かししがちな人は深夜に物憂げな思考になっちゃうケースが多いんじゃないかな.そして夜更かししちゃう.それが染みついて夜寝れなくて,夜考えてしまう.「何のために生きているのだろう」,と.

ここまで書いておいて,じゃあ今から何か偉そうなことを言うのではないのかという流れになっているのですが,実は特になくて.ご飯食べて運動もして睡眠をちゃんととっても「なんで生きてるんだろう」って考えることなんて普通にありますしね.でも,その時はきっと前向きに考えていけるはず(ご飯食べてない時や寝不足や運動不足の時に比べて).

未来のことも今の事もわからない私ですが,とりあえず思ったことをここに残してみました.少なくとも今日のnoteは今日私が生きた証にはなるでしょう.少なくとも今日生きた理由の一つになるでしょう.noteに限らず私が生きた理由をいろんなところに散りばめていきたいなとも考えます.それらの小さな欠片たちをいつか集めて振り返って,こう思えたらいいなと

「何のために生きてきたのか.それは,ここにすべて書いてある」

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