社会に適合したい
自由自在に操れる言語が好き。
言い回しによって伝え方が幾つかあって、なんとなくのニュアンスがそれぞれにあって、自分の伝えたい言葉を模索している時に、自分の中でピタッと当てはまる言葉と出会える瞬間が好き。
必ず答えがある数学も好き。知ってる知らないを問われるのではなく、自分の知ってる数式なんかを用いて答えを見つけ出そうとする過程も、正解と出会えた瞬間も達成感があって好き。
世には必ずしも答えがあることばかりではなく、思想の自由があって、そんな各人の世界観が映し出されるような芸術も好き。各人がもつ独特の世界観が見えた時、新しい世界が見えた気がして嬉しくて、美しくて、ワクワクする。
この考えが正解だと押し付けるような強要される瞬間は苦手。その人はきっと、平和の対義語は戦争だと思っているんだろうなと感じる。
(実際の定義は置いておいて)私はそうだとは思わない。
話がぶっ飛ぶけれど、動物園をイメージした時、ワクワクしたり、家族連れやカップルなどで賑やかな場のイメージが先行するけど、檻に閉じ込められた動物たちがいたり、見方を変えたら複雑な気持ちになる。
そんな気づきはいつもSEKAINOOWARIの音楽なんだけど、妙に腑に落ちて、心が痛くなる。
でも、新しい気づきを得た瞬間から、世界の見え方がまた変わる。
日常と、出会った音楽と、日々照らし合わせていると苦しくなって、どうして多数派が強いとされているのか、同調圧力が生じるのか。頭の中をぐるぐるとして、心を蝕む。
それこそ答えを求めることじゃないし、終わりはないのに、無意識的に考えている。
そうさせているのは、自分の性格か環境かなんなのか。今までも今も未来も、蝕まれるのかな
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