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海と生きる、今をいきる-映画「ただいま、つなかん」-

自分の居場所だった気仙沼


宮城県気仙沼市は前に旅行関連のお仕事をしているときに、足繫く通わせてもらった場所。

東日本大震災から12年、「復興支援」という名のもと気仙沼は私にとって働きがいのある居場所でした。その証拠にFacebookの過去の今ごろ何をしていたかを教えてくれるリマイド投稿は3月は東北のことばかり。


気仙沼のマドンナ、一代さん(左)と和枝さん(右)


ボクも受け入れてくれた「つなかん」


気仙沼のツアーで出会った菅野 一代(かんのいちよ)さん。一代さんはすぐに私の名前を覚えて、優しく迎えてくれた。

「つぼいちゃ〜ん、また来てくれたのね、おかえり」

一代さん以外にもホテルの支配人、女将、喫茶店のオーナーさんなどなど来る度に「おかえり」といってくれて私には「帰る場所」ができた
。ときには「また来たの?」なんて言われることもしばしば。

父親失格だった2010年代


気仙沼に足繁く通っていたのは、今思えば父親としての仕事を全うできていなかったからだと思う。当時発達障がいの息子を理解できず、理想の父親像とはかけ離れた自分がいた。仕事と育児を両立できない自分は「楽しい仕事」の方を選んでしまっていたのだ。

仕事と育児のバランスが崩れ、その後私も体調を崩した時期もあった。一度ココロが壊れかけてしまったからこそ、今同じ苦しみを持っているひとのために何かできないかと思って「発達障がいの座談会」をやっています。

映画館で「つなかん」と再会


体調を崩して以来、気仙沼の現地へは行っていないが、SNSやテレビなどで気仙沼のことは見続けている。いつか「つばきマラソン」を走ることが私の目標だ。

そんな気仙沼の「つなかん」が映画になった。
3月11日を前に東中野にある劇場で見てきました。


東中野の劇場で食べれます

やっさんの言葉「無理をしてこなくていい。余裕があるときでいいんだよ」


「つなかん」の女将 菅野一代さんの奮闘記や震災後の出来事を知っていた私にとって、映画館で見るその物語は辛く受け入れがたいものでもあったが、それでも立ち上がる一代さんを応援せずにはいられない。

私も「チームつなかん」なのだ。

映画館の中で一代さんの旦那さん(菅野和享(やすたか)さん)の言葉に私は救われた。それはボランティアでくる若者たちに向けた「無理をしなくていいんだよ」という優しい言葉でした。

普段あまり話しをしない「やっさん」、(私も何度かお会いしましたがほとんど話をした記憶はないです)、そんなやっさんの言葉を映画館で聞けてほんとうに良かったと思います。

「海も見たくない」状態だった一代さんは映画の最後にこう言っていました。


「海と生きる」ってこういうことなんだね


映画は菅野夫妻の映画であるとともに、そこに集った若者たちの未来に向かう光でもあります。

誰にでもある「●●と生きる」。
その●●と自分はどう向き合うか、どう受け入れるか。

また一代さんに背中を押してもらった気がしました。

お時間のある方は是非劇場で気仙沼に出会ってみてください




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