京都市内寺社巡り(その5)
すっかり更新忘れてた(^^ゞ時間が経ってしまいましたが昨年末の京都寺社巡りの続きです・・・
金閣寺
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
金閣寺に到着すると、入口の工事の誘導員さんに声をかけられ工事中の旨を伝えられます。覆いは取れているけれど鉄骨の足場が残っているとのこと。まぁ、構わないと参拝。驚いたのが参拝者がほとんどいなかった。なのでゆっくりノンビリ写真を撮りながら回れました。
裏手に回ると太陽の光が反射してお堂が光っていました。境内を進むと、石不動があります。御本尊の石不動は弘法大師の作と伝えられています。こちらの御朱印もあるんですね。
御朱印は書置きでしたが、御朱印帳を購入したので金閣寺の御朱印は直書きでした。御朱印帳、書く予定はなかったんですが・・・黒色が出ているとは知らなかった・・・買ってしまった(^^ゞ
建勲神社
建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された神社で、織田信長公をお祀りしています。
明治8年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っています。
船岡山は玄武の小山として平安京造営の際に北の基点になったとされる小高い丘で、緑豊かな建勲神社の境内からは比叡山や大文字山(如意ヶ嶽)など東山三十六峰の眺望も楽しめます。
正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが、一般には「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれています。(公式HPより)
小高い丘(船岡山)の上に鎮座しているので石段をそこそこ登ります。なので景色は良かったですね。
高いところから京都の町を見下ろせるところに鎮座しているのは、織田信長を祀る神社らしいですね。境内もビシッとしていました。「天下布武」の御朱印帳も目当てでした。
玄武神社
御祭神は惟喬親王(第五十五代文徳天皇の第一皇子)です。
第五十七代陽成天皇の元慶年間(八七七~八八四)に、親王の母方の末裔、雲林院村に居住していた星野市正紀茂光が、悲運な生涯であった親王の御霊をおなぐさめし、また王城北面の鎮護とこの地守護神として、紀名虎の蔵していた御剣を親王が御寵愛されていたので、之を御霊代として奉祀したと伝えられており、その子孫が代々この地の郷士であり且つ神職として明治中期まで奉仕されたとされております。(公式HPより)
街中にあるこぢんまりとした神社ですが、名前に王城の守護四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の1つ「玄武」を冠するだけ合って、とても力強さを感じました。
到着したのが4時過ぎで、御朱印対応時間は過ぎているようでした。が、社務所に神社の方がいて、快く対応して下さいました。通常の御朱印を頂きましたが、イラスト入りの限定御朱印もありました。サンタクロースのイラスト入りの御朱印って、日本ならではですかね(^^)
これにて2日目終了。明日も朝から京都市内の寺社を巡ります。
(つづく)