①世話を焼くのが好きだった
私の地元は女子が多く、振り返ってみればなんとなーく派閥みたいなものがあったように思う。
派閥って言っても…
みんな人間だから、気が合うか合わないかっていうところの人付き合いの話なので
そんなに深刻なものではない。
でも、昔ながらの人の集まりだから、結束も強い。
そんなところが良し悪しな私の地元。
噂もすぐにまわるし、『こうあるべきだ』という考え方が根付いているようにも思う。
それが居心地いいと感じる時もあった。
のちにそれがパニック症状の根源のひとつになるんだけれども。。。
自分で考えなくても、親や祖父母の口癖や態度見ていれば自分の取るべき行動が嫌でもわかったので、私は幼馴染といつも一緒に遊ぶ。
幼馴染っていうくくりが人それぞれだと思うけど、
いつも一緒にいたのは、歳が3つ以上離れた姉御たちか、年下の子たち。
虫捕り、ケイドロ、鬼ごっこ、缶蹴り、ままごと、ケンカの仲裁…
年上の姉御にしてもらっていたことを年下の子たちに継承するかのように付き合っていくなかで
人の世話を焼くことに面白さを感じるようになっていった。
近所付き合いが多いから、して当たり前のことだったのかもしれないけど
この子にはこうやって言うといい、とか
あの子には鉄拳喰らわした方がいい、とかwww
私なりに考えて行動していた、唯一の時間だったのかも。
『唯一』とか、あえて言っちゃうくらい。
幼少期の環境が
その後の人生や考え方、生き方に
すーーーっごく影響するんだってことを振り返って書いてると痛感する。
それと同時に
生きにくさを感じた時、壁にぶつかった時に
逃げるのか、立ち向かうのか、突っ立ったままでいるのか、見て見ぬ振りするのか…
選択肢の多さにもつながるんだなってことにも気付いた。
パニック症状が出て、以前よりは自分大事にするようはなったけれど
自分のことよりも私は…
私の周りにいてくれている人の笑顔のためには何ができる?
その思いが強いって感じている。
気付かないうちにいろんなモノが溜まってくるとパニックの症状が段階を踏んで出てくることもわかってきている。
やりたいこと(世話焼きという名のお節介)をしながら、
自分とも、人とも、いい距離感で。
それが今の私が大切にしていること。