引越履歴-その5
今まで書いてきたように、私は人生で様々な成功と失敗を繰り返してきた。バブルの時には仕事でも遊びでも楽しい思いをしたし、会社の資金繰りで綱渡りもした。共同経営者と意見が合わなくなり会社を退職したこともあった。
大口のコンサルティング先であった甲社が破綻した後、その後始末に関わった。一緒にやってきた大勢の人たちが甲社を去っていった。甲社は新卒の人も入れていたので若い人が多く、何をやるときでも活気に溢れていた。私は仕事を離れて、社員の皆さんと友人のように接していたので、彼らと別れることはつらかった。
わが社にとっても甲社の破綻の影響は大きく、優秀な社員を雇用し続けることができなくなり、全員が退職した。
私にいろいろな仕事を紹介してくれたKさんは甲社を支えようと、最後まで必死に頑張ったが、刀折れ矢が尽きた。Kさんは今までの人脈を生かして、大勢の人間を甲社に入社させていたので、甲社の破綻により彼らの人生を狂わせることになってしまった。
考えてみれば、Kさんを甲社に引きずり込んだのは私なので、実は彼らの人生を狂わせた真犯人は私ということになる。
ただし、その後彼らのうちの多くと会ったが、皆さん見事に復活をしており、誰も私やKさんのことを悪く言う人はいなかった。それだけが救いだ。
さて、私も経営していた会社を清算し、個人で細々と活動を続けることになった。
しかし、長年活動してみてようやく自分はチームプレーに向いていないことを悟った。
よく考えてみれば、最初の会社でも2番目の会社でも、私は自分の活動を最適化することに必死で、会社全体のことや他の社員のことを慮る余裕がなかった。ようするに社長としては失格だった。
この時点で、私は「今までのことを反省してもう一度良いチームプレーヤーになろう」…とは思わなかった。
「チームプレーヤーとして失格ならば、個人プレーヤーに徹しよう」と思った。
今までは、来る仕事を選り好みせず、ダボハゼのように喰いまくっており、これが結局自分で仕事をコントロールできないことの原因になっていた。
税務に関しては、取ってきた仕事を職員に丸投げし、最後のチェックだけしてお客様に報告をするというやり方だった。大税理士法人であればこのやり方もありだと思うが、中小零細事務所でこれをやったら「手抜き」になり、細かいチェックも含めて部下の負担が大きくなってしまう。当時、わが事務所では女性職員が2名いたが、よくぞこの仕打ちに耐えてくれたと思う。
その後、私は友人で税理士のSさんと一緒に税理士法人を設立し、そちらに税務の業務を任せることにした。Sさんは、エンターティンメント業界の税務が得意の人で、芸能人などの顧問を手広くやっていた。社内には審査担当もいて、お客様に提出する申告書等のチェックをきちんとやっていたので、安心だった。
Sさんは別の会社を持っていて、そこで記帳代行や印税計算などの業務を行っていた。私は、そこに社員として入り、研修室という部署を新たに作ってもらってその室長として金融機関等の研修業務を行った。
この絵は私が描いたものだが、Sさんはそれをそのまま受け入れてくれた。
私には困ったときには必ず助けてくれる人が現れるのだが、Sさんもそのひとりだった。
税理士法人で私は社員税理士(通常の会社では役員に当たる)だったので、法人全体のことに責任を負わなければならないのだが、実務的にはSさんがすべて引き受けてくれた。そうは言っても私の税務顧問先でいろいろなトラブルが発生したが、そのうちの何件かはSさんが尻拭いしてくれた。Sさんは私の恩人だ。
このような環境になったので、その後私は研修講師として思う存分力を発揮することができた。結局、人間はずっとなりたいと思っていた姿に落ち着くものだ。
Sさんと税理士法人を設立した後、オフィスを統合することにした。私は引越先として慣れ親しんだ神田神保町界隈を主張したのだが、Sさんは「うちのお客様である芸能人は『カンダ』という地名には馴染みがないので、事務所に来てくれない」とのことで、結局渋谷に引っ越した。
Sさんの言うとおり、渋谷の事務所には芸能人が来てくれた。ときどき事務所でクライアントである有名な歌手を見かけた。