中村哲さん

 イ・スヒョンさん、関根史郎さん、村田奈津恵さん、児玉征史さん。私たちは、この人たちの名前を忘れてはいけない。
 
 この人たちは、いずれも踏切または駅で人を助けようとして亡くなった方々だ。
 
 イ・スヒョンさん、関根史郎さん。2001年1月26日、新大久保駅でホームから落ちた人を救うために線路に降りて列車にはねられて亡くなった。彼らの勇気ある行動には心から敬意を表したい。今、新大久保駅に彼らの慰霊碑がある。
 
 村田奈津恵さん。2013年10月4日、JR横浜線中山駅付近の踏切でお父さんと一緒に車に乗っていた彼女は、踏切内で倒れていた人を見つけ、咄嗟に助手席から降りて踏切内に入り、列車に轢かれた。
 
 ニュースの写真を見ると、若くて美しい人だった。まだまだこれから楽しい人生が待っていただろうに…。奈津恵さん、なっちゃん、あなたの名前はいつまでも忘れません。
 
 児玉征史さん。2017年4月16日、横浜銀行の人財部主任人事役を務めていた彼は、京急線八丁畷駅前の踏切で、線路に倒れこんだ人を救おうとして亡くなった。
 
 私は、研修講師として、ある意味人を育てることに関わっている。児玉さんもおそらく人を育てることに力を注いでいた人だと思われる。
 
 人の命を救うために自分の命を投げ出した児玉さんに生前接することができた横浜銀行の方々を、ある意味うらやましいと思う。
 
 咄嗟の行動とはいえ、自分が彼らの状況に置かれた時に同じことができただろうかと考えてみた。たぶん、腰が引けて何もできなかっただろう。
 
 そして、私の中で決して忘れてはならない名前は「中村哲さん」だ。
 
 ご存じの方も多いと思うが、中村さんは、医師で1984年からパキスタン、アフガニスタンで医療活動に従事してきた。
 
 彼は、医療活動だけではなく、飢餓に苦しむアフガニスタンで、住民が生活の基盤を確保できるように、農業のための井戸を掘り始めた。
 
 しかし、それだけでは開墾面積に限度があり、根本的な解決にならないと考えた彼は、とうとう、クナール川からガンベリー砂漠まで総水路27kmを超える用水路を建設する。
 
 日本と異なり、建設重機や技術者も不足している中、日本古来の土木技術を取り入れて、コツコツと掘り進めた。ニュースでショベルカーに乗っている彼の姿を何回か見たことがある。
 
 彼のやり方は、ただ単に援助をするのではなく、現地の人たちが継続的に生きていくことができる基盤を作るというものだった。
 
 その結果、この用水路がもたらした広大で肥沃な土地は、都市部に流れ出ていた住民を地域にとどまらせ、そこでの就農によって彼らが生活の糧を得ることに大きく貢献している。
 
 このような功績により、彼はアフガニスタンの名誉市民権を得た。
 
 しかし、2019年12月4日、彼は天に召されてしまった。車で移動中に武装勢力に銃撃され、亡くなったのだ。神はなんと惨いことをするのだろう。
 
 ご遺体が日本に搬送される時のカブールの空港における追悼式で、当時のガニー大統領が彼の棺を担いだニュースが流れた。
 
 おそらく、彼は日本で医師として活動していれば安定した生活を送ることができただろう。しかし、彼はそのような選択はせず、飢えに苦しむ多くの人たちを救う道を選んだ。
 
 凶弾に倒れてしまったが、彼は自分の選択を決して後悔していないと思う。
 
 中村哲さん、あなたは日本の誇りです。

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