富士山

 私は現在のマンションに引っ越して2年近くになる。
 
 我が家はマンションの12階にあるのだが、今年の冬に部屋の掃除をしていたら、我が家の窓から富士山が見えることに気づいた。
 
 ビルとビルの間に頂上部分がうっすらと見えた。今までわからなかったのは、気候のせいもあったと思う。たぶん、湿気が多いと見通しが悪く見えなかったのだろう。
 
 現に初めて富士山に気づいたのは、快晴の日だった。雨の日や春霞がかかっている日には見えない。
 
 不思議なことに、私は富士山を見ると、手を合わせて拝みたくなる。山はたくさんあるが、富士山は別格のような気がする。
 
 たまに富士山が見えることに気づいてからは、毎朝掃除をするのが楽しみになった。
 
 先般、インバウンドの方々が背景に富士山が見えるコンビニの向かいの道路にたむろして写真を撮り、そのために道路が渋滞になったというニュースが流れた。確かに、背景にくっきりと富士山が見える光景は、まるで銭湯の壁の絵のようで、素晴らしかった。
 
 たぶん、インバウンドの方々が気づかなければ、そのような素晴らしい景色が注目されることはなかったと思う。
 
 最近熱海駅の新幹線ホームでカメラを抱えて通過する新幹線の写真を撮っている外国人が増えているそうだ。新幹線は日本の多くの駅で見ることができるのに、なぜ熱海駅なのかと言えば、熱海駅は山と海の間にあり、狭い空間に駅を作らなければならなかったため、いわゆる通過用線路が設置されていない。そのため、駅を通過するのぞみやひかりは、通常のホームを時速150kmで通り抜けるらしい。つまり、熱海駅の新幹線ホームにいると、目の前をオータニ君が投げるボールと同じようなスピードで通過する新幹線を見ることができるというわけだ。
 
 そんなことは外国人に言われるまで気づかなかった。
 
 きっと、我々日本人は気づかないでいるが、外国人から見るととんでもなく価値のあることがあるのかもしれない。
 
 最近、日本は生産性が低いと言われる。少し専門的な話になって恐縮だが、生産性というのは、我々が生み出した付加価値を労働時間や労働人数で割って算出した金額を示している。付加価値というのは、原材料に付け加えた価値を示している。セーターを生産している会社は仕入れてきた原料である毛糸に加工を加えてセーターを作って販売しているが、たとえば、セーター1着当たりの毛糸代が1,000円で、その販売価格が5,000円だとすると、この会社はセーター1着当たり4,000円の付加価値を生み出したことになる。この付加価値の国内における総額が国内総生産(GDP)に相当する。
 
 このセーターを1日1着生産・販売している会社を想定しよう。このセーターを1人で生産・販売している場合の1日当たりの生産性(労働生産性ともいう)は4,000円だが、2人の場合には2,000円になってしまう。
 
 つまり、生産性を高めるためには、より付加価値の高い製品を少ない人数で効率よく生産・販売する必要がある。
 
 日本の生産性が低い理由として考えられるのは、「付加価値に結び付かない無駄な労働をしている」ことだ。
 
 具体的には、「作業が非効率的」「労働時間がムダに長い」「提供するサービスが価格に反映されていない」などが考えられる。
 
 確かにわが国では人口減少傾向が顕著になっており、人手不足状態が続いている。今後も思うように人手を増やせないとなれば、従業員の生産性を高めるしか活路はないと思われる。
 
 しかし、インバウンドの方々が日本に来て感激するのは、実は最近叫ばれている我々の「生産性第一主義」と異なる行動に対してであることが多い。
 
 たとえば、どの店に行ってもお客様を第一に考える丁寧な接客であったり、そこまでするのかと驚く細かい機能を持った製品、24時間いつでも買い物ができるコンビニなど、我々は当たり前だと思っているが、外国人にとっては自国と異なるモノづくりやサービスにびっくりするそうだ(先日、私はおこげができる炊飯器に感激した)。
 
 私は海外旅行をしたことはあまりないが、海外のレストランやホテルの従業員は日本と比べて、笑顔になることが損と思っているのではないかと感じるくらい愛想が悪かった。公衆トイレがあんなにきれいなのは日本だけらしい。
 
 先日、私は電車の中に忘れ物をしたが、翌日、見つかったという連額があり、JRが送ってくれた荷物の中のカードや現金もそのままだった。
 
 小学校の先生は、お昼の給食を生徒たちと一緒に食べる。先生だって労働者なのだから、お昼休みくらいゆっくり自由に過ごせばよいと思うし、急いでやらなければならない採点があればその時間に片づけても良さそうだが、食事は家族や周りの方々に感謝しながらいただくものだから、あえて一緒に食べているのだと思う。このようなしくみになっているのは、たぶん日本だけではないだろうか。
 
 「チーム一丸となって」という言葉は死語のようになったが、お互いに協力し合いながらひとつのことに向かって力を合わせて目的をやり遂げた時の達成感は、何物にも代えがたいと思う。これは、生産性云々とは別の話だ。
 
 お題目のように「生産性、生産性」と叫ぶことも確かに大切なことだと思うが、昔からあった日本の伝統的な価値観は失わないようにしたいものだ。いつ見ても拝みたくなる富士山のように…。

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