自転車
歌手の高田渡に「自転車にのって」という歌がある。
子どもが自転車に乗って自由に動き回る様を歌っているのだが、子どもにとって自転車は魔法の乗り物だった。
私が自転車に乗れたのは小学校4年生のときだった。
父が務めていた工場の近くに知り合いの自転車屋があり、そこで子供用の自転車を買ってくれたのだ。
そのとき私はまだ自転車に乗ることができなかったので、自転車にはいわゆる補助輪が付いていた。
最初はその自転車で練習をしていたが、補助輪付きの自転車はこぎにくく、スピードが上がらない。自転車にのるコツは、ある程度のスピードが出てからバランスを取ることなので、補助輪付き自転車ではかえってうまく乗れないことが(後になってから)分かった。

休みの日に父が時々自転車の練習に付き合ってくれた。自転車の後ろで自転車を支えながら押してくれるのだが、私はなかなか上手に自転車をこぐことができなかった。何度もバランスを崩して足をついてしまう。
ある日父と自転車の練習をしていて、後ろで押していたはずの父がいなくなって、突然体が浮いたような感じがした。
「あれ?ひとりでも乗れた!」
ようやく自転車乗りのコツをつかんだ瞬間だった。父も後ろで笑っている。
そこからはもう自由自在に自転車を操ることができた。
後年、私も自分の息子の自転車の練習に付き合った。
(息子)「お父さん、自転車から手を離さないでね。」
(私) 「うん、わかった。」
(息子)「絶対だよ。絶対に手を離さないでね。」
(私) 「わかってるよ。」
と言いながら、いつの間にか自転車から手を離している。しかし、息子はふらふらしながらも独りで自転車を漕いでいた。
その時の息子の真剣な顔…。何気なく過ぎてしまったが、今から思えば、私の人生の中で一番の思い出に残るシーンのひとつだった。
私の場合、自転車に乗れるようになったら、歩いているときには感じることができなかったスピード感と頬に当たる風が気持ちよかった。
「こんなに楽しいことがあったんだ!」と叫びたくなった。
それからは、私の行動範囲が格段に広がった。
自転車に乗れない子供には「1kmの壁」がある。
子どもの足で歩いて行けるのはせいぜい1kmまでだった。
ところが自転車に乗ってみると1kmはあっという間だ。
小学校の友だちも続々と自転車に乗れるようになり、みんなで一緒に遠乗りもした。
私の育った田舎町は、ろくに交通信号も付いていなかったが、交通量も少なかったので、自由に動き回ることができた。
当時自転車に乗れるようになって一番うれしかったことは、好きだった同級生の女の子と一緒に自転車であちこち出かけることができるようになったことだった。
私は45歳のときに運転免許を取得し、自動車の運転ができるようになったが、その時よりも自転車に乗れた時の感激のほうがはるかに大きかった。
♪自転車にのって、自転車にのって、ちょいとそこまで歩きたいから♪
(作詞:高田渡)