忘れたもん勝ち

 正確には覚えていないが、確か遠藤周作さんの本の中に、アパートの2階でときどき奇声を上げる人の話が出ていた。
 
 周作さんは、その人がなぜ奇声を上げているかを推理するのだが、結局、その人が過去にやってしまった恥ずかしいことを思い出して、思わず奇声を上げてしまったのであろうという結論になっていた。
 
 この本を読んだとき、奇声を上げたのはまさに私だと思った。
 
 いまさら思い出したくもないが、私は過去にさまざまな恥ずかしいことをやってきた。
 
 親や家族に対する仕打ち、同僚や部下に対するハラスメントまがいの言動、恩知らずと言われても言い訳ができない行動など、まさに「穴があったら入りたい」ようなことが思い浮かぶ。私の場合は、そのようなことを思い出すと、背中がゾクゾクする。
 
 私の若い頃からの座右の銘は「Never look back upon the past」だった。
 
 なぜ英語になっているかと言えば、高校生の時に見ていた英単語の参考書の一番最初の例文だったからだ。
 
 もうひとつ、高校の英文法の教科書に「It is no use crying over spilt milk(覆水盆に返らず)」というのもあった。
 
 英語のことはさておき、これらを座右の銘にしなければならないほど、私は過去の亡霊に悩まされてきた。
 
 タイムマシンでもあれば別だが、人間は過去には戻れない。いくら悔い改めても過去に侵した過ちは取り消せない。
 
 私は普段は気の小さい人間だが、酔っぱらうと傍若無人になってしまうところがある。決して人に迷惑をかけているつもりはないのだが、それはこちらの言い分で、相手にとっては迷惑かもしれない。
 
 特に酔っぱらっているときは、記憶もあやふやなため、詳細に相手との会話まで覚えていない。それがかえって「相手に嫌な思いをさせたのではないだろうか?」という心配の種になってしまう。
 
 ヘビードリンクをして家に帰り、眠るときには「またやっちまった」と思うことが多い。そんな時には頭から布団をかぶり、中で唸り声を上げてしまう。
 
 そんなことなら、最初から酔っぱらうほど飲まなければよいと思うのだが、それが酒の怖いところで、飲み相手のいるところで飲み始めると、つい過ごしてしまう。そして人に迷惑をかける。こんなことの積み重ねが亡霊となって私を苦しめる。
 
 以前のnoteにも書いたが、私は年齢とともに物忘れがひどくなってきた。洒落ではなく認知症かもしれないと思うほどだ。
 
 人の名前は一度聞いただけだと確実に忘れる。忘れるだけならまだしも、鈴木さんを田中さんと間違えて覚えてしまい、鈴木さんを田中さんと呼んでしまったこともあった。
 
 一度に2つ以上のことができない。たとえば、居間にはさみを取りに行ったときに、テーブルの上に新聞が置いてあると、「そうだ新聞を読もう」と思い、新聞は持ってくるのだが、はさみのことはすっかり忘れている。
 
 研修講師として講義をしているときに、「この問題のポイントは3つあります」と言って説明に入るのだが、ポイントを2つ説明して、3つ目をすっかり忘れたこともある。
 
 とにかく最近のこの健忘症には困ったものなのだが、ひとつだけいいことがある。
 
 それは、過去の嫌なことも忘れてしまうことだ。
 
 前述のように、私はかつて過去の嫌なことを思い出し、嫌悪感でノイローゼになりそうになることがたびたびあったが、最近はそのノイローゼのもとになるできごとがなんだったかを忘れてしまい、思い悩む機会が減っている。
 
 昔の人は「人間は忘れる動物である」と言ったが、過去の嫌なことをいちいち蓄積して覚えていたのでは、人間は精神的に参ってしまうので、そんなことは忘れてしまえと言っているのだろう。
 
 忘れてしまえば思い出しようがないので、過去において迷惑をかけたであろう方々に対して、心の中で「ごめんなさい、忘れてしまいました」と勝手につぶやいて眠ることにしている。

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