ラッキーアイテム

 これは私のラッキーアイテムだ。

 娘と息子が保育園に通っていたとき、おしぼり入れとして使っていたケースで、現在は私が使っている。子供のお下がりならぬ「お上がり」だ。
 
 私は、金融機関などの研修講師を務めており、一日中講義をすることが多い。
 
 コロナ禍以降はリモート研修も増えてきたが、基本的には研修先に行き、集合研修を行う。
 
 最近は集合研修でもパソコンからプロジェクターを通じてスクリーンに画像を映し、それを見てもらいながら研修を行うことが多くなったが、以前は、ホワイトボードや黒板に文字や図表を描いて説明を行っていた。
 
 その場合には、どうしても手が汚れてしまうので、おしぼりは必需品だった。
 
 おしぼりはぬれているので、そのままカバンに入れる訳にはいかず、このようなケースが必要になる。
 
 変な話だが、私は研修を行っているときに、このケースが手元にあると、子ども達が「お父さんがんばれ!」と言ってくれているような気がする。
 
 私はひょんなきっかけから研修講師業を行うことになった。
 
 30代の頃、会計士として独立したが、まったく仕事がなく、途方に暮れていたときに、ある証券会社から税金の研修講師の依頼がきた。
 
 当時、私は人に税金を教えるような知識や能力はなく、本来ならばそのような仕事を引き受けるべきではなかったのだろうが、とにかく、目先の仕事をこなさなければ一家が路頭に迷ってしまうと思いつめており、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでこの仕事を引き受けた。
 
 しかし、私は心配性で小心者なので、研修講師を引き受けたのは良いが、本当に人さまの前でうまく講義ができるのか、夜も眠れないほど悩んだ。
 
 もちろん、研修に向けて必死に準備はするのだが、何しろ初めての経験なので、どの程度の準備をしてよいのか分からなかったし、大勢の人の前で上がらずに話す自信もなかった。
 
 どんどん研修実施日が近づいてくる。ああ、こんな仕事など引き受けなければよかったという後悔の念が浮かんだ。
 
 とうとう研修実施日が到来した。
 
 朝、洗面をしていたら、洗面所の棚に写真のおしぼりケースがあった。
 
 当時子ども達は小学生になっており、おしぼりケースを使うことはなくなっていたのだが、奥さんが一応取っておいたらしい。
 
 このケースを見た瞬間、私は「あっ、○○ちゃん(娘)と○○ちゃん(息子)だ!」と思った。
 
 独りで研修講師を務めるのは気が重いが、子ども達と一緒ならばなんとかできるかもしれない、いや、絶対にうまくいくと思ったというか、思い込んだ。
 
 結局、研修会場にこのおしぼりケースを持っていき、一緒に研修をやった。
 
 研修中、ときどき、言い淀んだり、うまく表現できないようなところが出てきたが、そのつど、このケースが「お父さん、がんばれ!」と言ってくれる。
 
 研修中話しているのは、私ひとりだが、後ろに子供たちがいて私の背中を押してくれているような気がした。
 
 研修終了後、受講生の感想を見せてもらったが、一生懸命にやったせいなのか、評判は非常に良かった。
 
 それ以来、私は研修の時必ずこのケースのうちどちらかを持っていくようにしている。

いいなと思ったら応援しよう!