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シュタイナー教育と心理学⑩

ルドルフ・シュタイナー著 新田義之訳 『教育の基礎となる一般人間学』を読んでいます。

第2日目、第二十三段落目まで↓


第二十四段落要約

外形的に言うならば、人間は頭部組織と胸部組織と四肢をそなえて成り立っている。
ただし役割としてはこれは分離していない。
頭部の内に本来の意味での感覚器官を持っている一方、肉体全体にわたって触覚や温度感覚を分布させている。温度を感じ取ることによって、私たちは頭部そのものなのである。
胸部、下腹部についても同様に、主としての部分であり、全体において胸部であり下腹部でもある。
頭部が下腹部であることは二、三の生理学者も認めている。脳・神経組織の高度に微妙な部分は脳皮質の中ではなくその下に位置しているからである。脳皮質は精巧に出来ているが一種の退行した機構であり、栄養摂取器官ともなっている。
私たちが脳皮質を持っているのは、神経に正しく栄養供給がされるためである。神経によりよく栄養を供給しているため、私たちは動物より高度の認識を展開する可能性を持っている。しかしながら本来の意味の認識には、脳や脳神経は全く関与していない。脳や脳神経の関与するのは、認識を肉体機構の中に表現することだけである。

第二十五段落要約

なぜ私たちは頭部機構組織と、その反対側にある下腹部を含めての四肢組織という対立関係を身体の中に持っているのであろうか。中間部の組織については、しばらく措く。
それは頭部組織が宇宙によって吐き出されたからである。人間は宇宙の反感によって頭部を形成する。円い形をした人間の頭は、宇宙の似姿である。
宇宙は四肢に対しては好感を持ち、宇宙の中に密接に組み込んでいる。
私たちの反感が宇宙の反感と衝突し合うところに、私たちの知覚が生じる。私たちの四肢組織を宇宙が愛情深く好感に満ちて包み込んでくれることから、私たちの内的生活が生じる。



対立関係と言うが、ここまでに頭部と下腹部が対立関係であると述べられてはいない。また胸部が中間部分であることも述べられていない。
三つともが"好感"と"反感"の入り混じる部分であるとした次に対立関係の話を持ってくるのはいささか論理の飛躍である。

頭部に"反感"を紐づけ、私たちの知覚が生じる部分だとするのはわかる。
では四肢に"好感"を紐づけることはできるのだろうか? ファンタジーが生まれる部分であるとするのか? あまり想像がつかない。

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