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シュタイナー教育と心理学⑨

時間が空いてしまいました。読み進めていきます。

ルドルフ・シュタイナー著 新田義之訳 『教育の基礎となる一般人間学』を読んでいます。

第2日目、第十九段落目まで↓

第二十段落要約

以上の基本原理は、授業を健康的に構成するのに役立つ。
また子どもを心的にも肉体的にも健康にし、精神的・心理的デカダンスに陥らせないようにするのに有効である。

デカダンス……虚無的、退廃的なさま

運動神経を云々するのは、たとえば足の方に向かって通っているある種の神経が傷つくと歩けなくなる、という事実があるからである。
これを「運動神経という足を動かしている神経が麻痺したから歩けないのだ」とするのである。
本当は、人間が自分の足を知覚できなくなったために歩けなくなったのである。

第二十一段落要約

人間の本質は、宇宙的なものとの関連においてしか理解できない。
なぜなら私たちは表象することにより、宇宙的なものを自分の内部に持っているからである。
私たちの未来の生は、私たちの意志の中に住んでいるものの内部で、種子としての形を現している。
私たちの中に無意識のうちに存在しているものが、宇宙の中では、より高い認識のために、非常に意識的に活動することになる。

第二十二段落要約

私たちは肉体の上に現れる形においても、"好感"と"反感"が入り混じる炉を三種類持っている。神経作用が中断している場所には、つまり飛躍が起こるところには全て炉がある。
第一に頭部中に、血液と神経とが相互に働いて、それによって記憶想起作用が生じている。一本の神経が脊髄の後端に向かって進み、もう一本の神経が前端から出ている場合、などに脊髄中にも飛躍が起こる。もう一つの飛躍は交感神経の中に埋め込まれている神経節の中で生じる。
肉体機構の頭部、胸部、下腹部中において、"好感"と"反感"が出会っている。
知覚と意志とに関して言えば、何かが知覚神経から運動神経へと迂回させられるのではなく、一つの流れが一つの神経から別の神経へと飛躍するが、それによって脳と脊髄の中で、心的なもの(das Seelische)が揺さぶられるのである。神経が中断しているこれらの場所において、私たちは私たちの"好感"と"反感"とによって、心的なものの中へと組み込まれるのだ。

第二十三段落要約

私たちは体験という営みによって宇宙の中へ組み込まれている。
私たちが諸々の仕事を展開し、それらを宇宙の中で発展させていかねばならないのと同じように、宇宙は私たちを手段として諸々の作用、すなわち"好感"と"反感"の作用を展開する。



運動神経について追加の言及があったがさらにわからなくなった。

運動神経の死ではなく、知覚神経の死が足を動かせなくさせている、という話だろうか。
しかし前回の文では運動神経は運動血液であるという分類であった。
運動血液の損傷はなぜ知覚に影響するのか?

神経と神経の間が離れている(あるいは別の神経が繋がっている、という分類?)は生物学的に正しいのだろうか? 


前回から時間が経ってしまってまた難しくなった。
復習しながら次を読みたい。

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