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シュタイナー教育と心理学⑤

ルドルフ・シュタイナー著 新田義之訳 『教育の基礎となる一般人間学』を読んでいます。

少しシュタイナー教育における考え方のようなものが見えてきたように思います。

第2日目、第六段落目まで↓

第七段落要約

以上のように、私たちはある意味で人間の心(Seele)の営む生を映像的な表象と種子的な意志との二つの領域に分けることができる。
では、いったいどのような力が働いてこうなるのだろうか?

第八段落要約

人間の中には、ある特別な力が存在しているに違いない。
ここで『神智学』(人智学?)において述べてある心理学上の概念、好感(Sympathie)と反感(Antipathie)を反映する現象に行きあたるだろう。
私たちはこの世に降ろされることによって、霊的なものの全てに対して"反感"を持つようになり、霊的な誕生前の現実を、自分も意識していない"反感"の中で、反射像として映し出す(Zurückstrahlen)。
また、死後に意志という実在として私たちの存在から輝き出て行くものを、私たちは"好感"の中で私たち自身と結び合わせる。
つまりこの両者は私たちの感情のことであり、感情は"好感"と"反感"が交互するリズムから次々に生じてくるものなのだ。

第九段落要約

"好感"と"反感"の絶え間のない交替は吸気と呼気である。
"反感"は私たちの魂(心)の生活を表象生活化する作用をする。"好感"は私たちの魂(心)の生活を行動意志、すなわち死後に霊的な実在となるものの種子をたくわえる作用に変化させる。
私たちは魂の世界における生活の種子を、"好感"と"反感"のリズムの形で作り出すのだ。



口語文ならではのブレなのかわかりかねるが、第九段落において"好感"と"反感"は完全な左右対称のようにはなっていない。
また"反感"は種子に直接関係しているようには述べられていない。
この点で謎が残る文章である。

"好感"と"反感"という単語について。
感情を生み出すリズムのもとである、と述べられているが、これ自体が「好き」「嫌い」という感情のことを指しているわけではないようだ。
シンパシー/アンティパシーと考えるならば、自己と同じもの/自分とは違うもの、のようなイメージでとらえるべき単語のように思える。

自分とは切り離すことで映像化できる、という意味合いの"反感"と、死後の自分実在と結びついている、という意味合いの"好感"として読むのがよいだろうか。


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