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私のチャレンジ、好きなこと 5

みなさん、こんにちは。今日は2020年6月29日。

大学3年になった私は、世界大会へ向けて最後の追い込みに入ります。

(そして、学校の授業の方は専門領域も深くなり、授業の面白さもアップしていく…。)

授業で習った知識を機体設計に取り入れられないか、と考え実践してみたり、新しく設計した箇所の信頼性を確かめる打ち上げ実験をしたり、と日々改良を重ねていました。

9月後半から大会が始まるので、機体設計は7月までに終えておきたいところです。

しかし私たちは、7月の打ち上げ実験でブレードがうまく回らないという不具合が見つかってしまい、急遽1ヶ月足らずで改良を加えた実験機を製作し、8月に最後のテスト打ち上げをして実証をしました。

不具合箇所以外の部品製作は6月くらいから進んでいたため、ある程度は余裕がありましたが、それでも残りの日数で本番用の綺麗な機体を仕上げることは苦労しました。

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もうこの頃は部室の中はカオス状態で、各競技に参加するメンバーの機体部品で溢れかえっていました。

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この写真だけでも悲惨な状況が伝わると思いますが、やすりがけをしながら寝てしまうメンバーがいたり、一点を見つめたまま動かなくなってしまうメンバーがいたりして、メンバー皆の体力も限界に近かったと思います。

そんな中、なんとか機体を完成させ、機内持ち込み用の梱包まで終え、世界大会へ臨みます。

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カザフスタンのバイコヌールまでの渡航は、一旦ロシアのモスクワに飛び、一泊をしたのち、モスクワ市内の別の国際空港からロシア政府が用意したチャーター機で向かいます。

その乗り継ぎで手荷物が引っかかるというトラブルがありましたが、なんとか現地入りでき、大会に臨みます。

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大会は開会式などの競技日以外も含めると計8日間あり、私たちのカテゴリーは1番最後の競技日でした。

会場はテントが並び、各テントは国別で占有できるスペースになっています。

会場は一般の人たちも入ることができ、競技日にはかなりの人が訪れていました。

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他のメンバーたちがチャレンジを終える中、いよいよ私たちのカテゴリーの競技が始まります。

当日の天候は快晴。砂漠特有の湿度がほぼ0パーセントで最高気温が40℃近くというコンディションでした。

競技開始は12時30分だったと思います。

打ち上げは3回する必要があり、1時間半で区切られた時間内に各1回の打ち上げをして、計測限界3分での滞空時間の計測を受けます。

前日までの傾向から、午後3時くらいまでは上昇気流が発生しているので、3回あるうちの最後の打ち上げに臨む際は、早めの打ち上げをして滞空時間を稼ぐ必要があります。

現地で行ったテストフライトでは、日本で実験をした際には出なかった驚異的な滞空時間を計測していました。6分45秒という記録です。

日本では1分30秒が限界であったので、少し自信をなくしていましたが、逆に確実に優勝を狙える位置にいることが現地で初めてわかったのです。

幸運にも私の機体は練習で出したような成績を2回とも上げることができ、2回目までの成績は同立1位でした。

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そして運命の3回目。

数日での急激な状況変化とプレッシャーから、機体セッティングに手間取ってしまい、時間が過ぎていきます。

他のメンバーや他の国の選手が次々と打ち上げを終える中、数名しか残っていない状況での打ち上げになってしまいました。

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予想通り、上昇気流の発生がおさまってしまった中での打ち上げになってしまい、タイムは伸びず、結果90秒ほどのフライトで終わりました。

結果、個人成績は16位。国別では4位、という成績でチャレンジは終わりました。

優勝が見えていた中でのこの結果は悔しく、この時ばかりはテント裏で泣きましたね。。

このチャレンジは自分の中でとても大きく、生涯忘れられないものになりました。

帰国後は、現地でもらってきた病原性大腸菌との戦いがあったようにも思い出されますが、自宅療養1週間ほどで完治でき、すぐに就職活動が始まります。

4年次になって就職先も決まり、卒業研究も終え、無事に大学を4年間で卒業することができました。

チャレンジをすることが大きな経験になったのはもちろんですが、同期はもちろん、先輩後輩との思い出ができたことは、自分にとって大きな心の支えになっています。

自分ひとりじゃここまでできなかった。信頼できる支え合える仲間がいたからたどり着けた場所だと思います。

こんなチャレンジがまたできるよう、今は力を蓄えています。

5は終わり。

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