私のチャレンジ、好きなこと 3
みなさん、こんにちは。今日は2020年6月25日。
今日のトップ画像は、2006年9月にバイコヌール宇宙基地で撮った写真です。
初めて宇宙に行った人、ガガーリン宇宙飛行士が飛び立った発射台としてガガーリン発射台、などとも呼ばれており、いま現在も現役です。
なぜこの写真なのかは、前回記事の『私のチャレンジ、好きなこと 2』の続きである、この記事の最後に触れます。
大学に入学してからサークル活動に没頭していた私は、同期の仲間や先輩たちとモデルロケット製作に明け暮れます。
年に3〜4回、学校が所有している敷地を使い、打ち上げ練習を行ないます。
入学したての私たち1年生は、日本モデルロケット協会主催の全国大会に出場し全国優勝を狙う、という目標が、私たちの目標でした。
2004年当時は、高度競技とパラシュート滞空時間競技、グライダー滞空時間競技があり、各種目は個人で競うレギュレーションでした。
私は浮いている姿が優雅に感じられたのでパラシュート滞空時間競技を選択し、同期の2人とともに挑戦しました。
現在は全国にモデルロケットの大きな大会がいくつかありますが、当時の大きな大会はこの大会のみで、日本国内における唯一の目標であり、これに勝ったら名実ともに日本一です。
入学当時に目にしていたトロフィーが物語るように、当時の宇宙航空研究会の技術力は高く、先輩たちから引き継いだ技術は相当なレベルでした。
それが物語るように、最後に優勝争いをした3人は、私と同期の2人でした。
当時の会場も現在と同じく『つくば宇宙センター』で、秋晴れの気持ちの良いコンディションの中、優勝者を決めるフライオフ(サドンデスみたいなもの)の打ち上げが始まりました。
フライオフの時に感じ覚えているのは、いつも隣で作業をしていたメンバーたちと争うことで感じる、何か独特な気持ちでした。
自分ももちろん勝ちたいけど、他のメンバーが勝っても心からおめでとうと言いたい。
いつも夜遅くまで一緒に作業をしていたメンバーだからこそ思える気持ちだと思います。
結果は私が勝てたのですが、ラッキーなことに風を掴めたから勝てたようなもので、みんなのフライトは素晴らしいものでした。
カップとトロフィーを抱え、帰りの車で帰るときの気持ちは、とても充実しており、やっていてよかったとじんわり感じていたのを覚えています。
1年次に日本一へのチャレンジをしたので、次はいよいよ世界一へのチャレンジです。
そして私たちが目指す、モデルロケット世界大会(World Space Modeling Championship)が開かれる場所は、ロシアがもつカザフスタン国内のバイコヌール宇宙基地だったのです。
このまま3を終えたいところですが、こんなに夜遅くまでやっていると学業との両立はどうなっているんだ、という疑問が及ぶかもしれません。
1年次に最低限取っておかなければならない単位は取得できていましたが、いくつかどっか行ってしまったものもありますので、2年次に再履修をすることになります…。
その辺で不安な気持ちを残しながらの2年次以降は、4で。
3は終わり。