【まちで仕事をつくる】vol.03 クラウドファンディングの苦悩
山形ビエンナーレの最終日、オーナーである原田伸子さんから「これからも協力してもらえるなら、また店を開けようかね~」と言葉をかけていただきました。その一言に、僕らは本当に嬉しくなり、「この場所だからこそできることは何だろうか」「伸子さんのためにできることは何だろうか」と、郁文堂書店のこれからについて考え始めました。
伸子さんの生活を守りつつ町に開く
2016年10月、ビエンナーレ終了から2か月が経った頃、僕らは郁文堂書店再生に向けた本格的な企画づくりに取り組み始めました。ただし、10年以上も閉ざされていた店をそのまま再オープンさせてしまえば、伸子さんの生活に大きな負担をかけることになってしまいます。それを避けるためにはどうすればよいのかを真剣に考えました。
そこで着目したのは、伸子さんが大切にしていた「サロン」という文化です。この文化を受け継ぎつつ、新しい町の機能として再構築することで、伸子さん自身が楽しみながら活用できる場を作れないかと考えました。
「商売すること」「働くこと」以外の場所をつくる
町を見渡してみると、郁文堂書店のある山形市の中心市街地には「商売をすること」「働くこと」以外の機能がほとんどないことに気づきました。公園のような開放的な空間も少なく、気軽に立ち話をしたり、人々が自然に集える場所がないのです。この気づきから、僕らは郁文堂書店を単なる店舗として再生するのではなく、伸子さんが守り続けてきた「サロン」という文化を基盤に、町の中に新しい機能を持つ場をつくることを目指しました。
郁文堂書店の空間設計では、生活動線を考慮しつつも、書店を越えたリビングのような空間を作ることを意識しました。店内中央に大きなフローリングを設け、自然とコミュニケーションが生まれる中心を作りました。この設計は、伸子さんの希望と僕らの提案をすり合わせる過程で生まれたもので、最初には想像もしなかった形にたどり着けたと感じています。妄想だけでは見えない確かな手触りを得ることができた瞬間でした。
勇気を出して挑戦したクラウドファンディング
郁文堂書店再生の構想ができたとはいえ、それをどうやって実現していくかが次の課題となりました。当然ながら資金のない学生である僕らは、クラウドファンディングでの資金調達に挑戦することにしました。2016年当時、山形市内ではクラウドファンディングがほとんど実施されていなかったため、話題性を確保できるという期待がありました。また、もし目標金額に達しなければ「町の人から求められていない企画だった」と割り切る覚悟もありました。
いざ始めてみると、クラウドファンディングは体力を要するものでした。当時はその仕組み自体が知られておらず、友人から「絶対にうまくいかない」と言われたり、期間中は常に「目標金額に達するのだろうか」と不安に駆られる日々が続きました。
中盤での後押しと広がり
クラウドファンディングが進む中盤には、プログラムディレクターのナカムラクニオさんによる後押しもありました。郁文堂書店を会場に「金継ぎワークショップ」を開催し、その収益をすべて寄付してくださいました。このワークショップには多くの方が参加してくださり、その場で出会った参加者の皆さんがそのまま支援者となってくれたのです。
さらに、ワークショップを通じて生まれたつながりは今でも続いており、郁文堂書店再生プロジェクトをきっかけに広がったネットワークの一部となっています。このような形で、人と人との絆がプロジェクトの力強い支えになったことは、僕らにとって大きな励みとなりました。
こうした多くの方の支援と後押しのおかげで、タイムアップまで2日を残して目標金額を達成し、148人もの方から100万円以上の支援をいただくことができました。この成功は、プロジェクトを実現するための大きな一歩となっただけでなく、挑戦を諦めないことの大切さを改めて感じさせるものでした。
自分たちではできないことを認め、人に頼る力を得る
2016年12月25日、クラウドファンディングが終了しました。そして同時に、返礼品の準備・発送、施工図面の作成、見積もりといったやるべきことが次々と押し寄せてきました。これらの作業はどれも初めてのことで、僕らは「迷惑をかけてはいけない。責任を持って自分たちでやり切らなければ」とプレッシャーを感じていました。
そんなとき、先輩から「人に頼ることも一つの能力だよ」というアドバイスをもらいました。その一言に救われ、僕らの考え方は大きく変わりました。自分たちだけですべてを成し遂げるのではなく、周囲の力を借りながら挑戦を続けること。それができれば、もっと大きなことができるはずだと信じられるようになりました。