見出し画像

仲間に入れて欲しいだけなんだよ

青年海外協力隊は現地の人と一緒に生活をして
その中から少しでも力になれることを探して
それをやっていく。
だから上からじゃなく、
同じ目線の国際協力。
出来ることは限られるけど、すごく素敵なことだと思う。



だからインドネシア人になろうと思ってきた。
なれないのは分かってはいるけど
少なくとも彼らに受け入れられるくらいには。


郷に行っては郷に従え、
言葉だって頑張って覚える。
ご飯は手で食べるし、裸足で歩くし、
イスラム教の挨拶だって真似する。
日本人はこういうの得意だよね。



周囲の人も認めて始めてくれて、
ようやく仲間の一人として認められたとかって思うんだけど、
ただやっぱり良くも悪くも僕たちは日本人。



今は学校に行くと小学生に

「コロナ!コロナ!」

って言われる。でももはやこれは許そう。相手は子供だし。




でもたまに約束の時間に遅れてしまった時、
「日本人なのに遅刻した!」
というような言い方をされる。


遅刻したのは申し訳ないけど、
心の中でちょっと毒づく。



いつも君たちは何食わぬ顔で遅刻してくるじゃん、それがインドネシア流で
いつもそういう時、俺何も言わないじゃん、
だってここはインドネシアだから。

遅刻した俺がまだ本当に日本人なら
これからは時間通りに来なければこっちは怒って帰るよ。



なんてことを心の中で考えながら
そんなことを考えてる自分にも嫌気がさして
子供だなあと反省したりする。



でもこれはきっと怒りではなく、
たぶん寂しいんだ。悲しいんだ。

完全に同じ立場にはなれないことが。





僕は現職参加として協力隊に参加している。
本当にありがたいことに属している企業がある。


参加した理由は海外で生活をして、そこに住む人たちの感性を知りたかったから。
言い換えれば自分の人生の経験にしたかったから。
正直国際協力とかボランティアには全く興味がなかった。


でも訓練所の頃から協力隊に参加している人のことをリスペクトしている。

リスペクトって言うとなんだか薄っぺらく聞こえちゃうんだけど、嫉妬するほど羨ましく思う。


世界の為に何かしたいという思いで
若い時の貴重な2年間を使って、
ボランティアとして海外で活動する。
仕事を辞めて、就職しないで、そんな道を選ぶ。
理由は色々あるとは思うけど、そんな人たちを本当に尊敬していて、尊いとも思う。


1年の現職参加のプログラムでさえ、参加するときにかなり迷った。
この年齢で1年間と言う時間を使って参加することが果たして正しいのだろうか。
日本で働き続けて、結婚とかちゃんとした方がいいんじゃないかとか、色々考えて
結局行くことにした。


僕には会社を辞めて参加するという勇気は出なかったし、
本当に悲しいことに、そこまでして世界の誰かの為に何かをしたいという情熱が残念ながらなかった。
本当にほんとうに冗談抜きですごいと思ってる。
そんなこともあって訓練所の当初は、同期隊員に対してなんだかどこか引け目を感じながら過ごしていた。



だからそのリスペクトを持った上で、
ずっと俺も「青年海外協力隊」になろうと思ってきた。
彼らから色んな話を聞いて、
国際協力に興味を持つ人たちの考えを知りたいと思った。少しでも近付きたいと思った。

自分の知らなかった彼らの世界を、ちゃんと知りたいと思った。



そして今まで協力隊員として活動してきた。
決して良く出来た内容ではなかったけど、
今考えるともっとこうすればよかった!と思うことは山ほどあるし、
これやりたかったのに!という後悔はいつでもある。
それでもきっとその時の「自分なりの精一杯」を積み重ねてここまできたんだと思う。



ほぼ1年が経った今でもやっぱり分からない。
国際協力に興味がなく、会社を辞める勇気もなく、
たった1年という期間で現職参加という立場できた僕は
彼らと同じような青年海外協力隊になれているのか。


そして最近ふとした時に気付く。
やっぱり彼らとは同じにはなれていないんだろう。
どこかやっぱり壁を感じてしまう。
それがすごく寂しくて、悲しくて、やりきれない想いに駆られる瞬間がある。
どうやってもそこには入れてもらえないということが、
ただ寂しいだけなんだ。



そしてもっと言えば
僕は果たして世の中が想像するような、期待されるような
青年海外協力隊にはなれているのだろうか。



世の中の期待通りになる必要はないのかもしれない。


ただそれでも僕は、少なくとも同じ目標を持って一緒に活動をする人たちと
上でも下でも外でもなく、ただ同じ立場になりたいだけなんだ。
仲間に入れて欲しいだけなんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?