「あるもの」と「ないもの」
早いものでもう2月。
去年の4月末にインドネシアに来て早9か月が経ちました。
ブログもたくさん書こう!って思ってたけど
結局全然書けなかったなあ。
毎日くらい書いている人は本当にすごいなあと思う。
私は1年間の任期なので今年の4月の末で帰国。
長いようで短い1年間が終わる。
もういよいよゴールが見えてきた感じ。
こうやってゴールが見えてくると
なんだか複雑な感情が沸いてきて。
早く日本に帰りたい気持ちもあるけど、
正直なところ日本社会に復帰出来るか不安なところもあって
このままこの生活がもっと続けばいいのにと
そんなよこしまな思いが生まれてしまったりもする。
インドネシアに来た当初は「ないこと」ばかりに目がついた。
何かを相談出来る友達もいない。
信頼して何か一緒に活動が出来る人も環境も、
上手く想いや感情を伝える語学力も
たまには食べたい日本食もない。
これらの「ない」は言い訳だったり自分の弱さだったり、
多分うまくいかないことが多いとき、心に余裕がないときに
どうしても目についてしまうことなんだろうと思う。
残りの時間が少なくなった最近は
今まで以上に「あるもの」に目が行くようになった。
日本で仕事をしていた時よりも心にも時間にも余裕があるなあとか
色んな事をしている人との関係性があるなあとか
海外でボランティアしているというある意味特殊な肩書があるなあとか。
今までだって多少そんな視点を持って、
理解して過ごしていたつもりでいたけど
いざ環境が変わるときが近づくと
より強くそれを意識するようになった。
きっと多くの物事にはいい面も悪い面もあるけど、
その両方を正しく認識するにはやっぱり心の余裕がないといけないと思う。
来て当初、活動が思う通りに行かなかった頃は
やっぱりうまく出来てなかったんだろうなあ。
きっと逆に言うと余裕が出来てきたんだろう、と思ってみたりするけど
そんな風な捉え方自体が、物事のいい面を見てるってことなんだろう。
色々「あるもの」を考えたんだけど
僕にとってはそれはやっぱり「時間」。
日本にいた頃は立派ではなかったけど社会人として働いて、
やっぱり毎日定時帰りなんてことはなかったし
何となく時間にも心に余裕がないことが多かった。
今、それが十分にある。
これって本当に奇跡的なことで、
日本にいた頃は喉から手が出るほど欲しかったもの。
多分その時々では精一杯生きてたんだけど
この1年でもいっぱい無駄にしてしまった。
残り約3か月だけど、
せっかく頂いた時間と環境の中の「あるもの」を大切にしながら
改めて襟を正して過ごしていきます。
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