ごはんはひとりで
あなたにとって、食事をするとはどう言う意味を持っていますか?
もちろん、人は生きていくためには食べなければなりません。
いくらかは、水だけで過ごせるかもしれませんが、基本的には食べることでエネルギーを得ます。
私は、料理が得意ではありません。
一人暮らしですから、誰かのために作る楽しみもありません。
そもそも味に自信もないので、ホームパーティなどの持ち寄りの際には、ドリンク担当になってしまいます。
大阪から石巻に来た頃、私はボランティアハウスで共同生活をしていました。
そこでは、世界中から訪れたボランティアが何十人と寝食を共にしていました。
食事に関しては、料理担当のスタッフがいて、バイキング形式で食べるものを取り分けます。
普段食べ慣れないものばかりで、ついつ取り過ぎてしまい、すぐに体重が増えてしまいました。
大所帯の集団生活がひと段落した後、新しい団体でスタッフとして働くことになりました。
これもまた、共同生活でした。何十人から十数人に規模が変わっただけ?
前回同様、英語が第一言語の人たちとの生活。
日本人の私は、日本に居ながらにしてマイノリティでした。
食事の準備は交代で、メニューは作る人が決め、手伝えるメンバーは手伝うという感じで。
10人前後で食べることが多かったように思います。
その時を振り返ると、いくつか気付いたことがあります。
まず、私は大食いでした。
多くの場合、食べ足りない感じが残りました。
なんで、みんなあんなに少食だったのだろう?と、今でも不思議に思います。
それから、喋りながら食事をすることが難しいことにも気付きました。
当時は、コロナの『コ』の字もなく、集まって食べることはむしろ、食べることがメインというよりは、そこでの会話を楽しむコミュニケーションの場としての役割が大きかった様に思います。
今もそうですが、当時の私は、ほとんど英語が話せませんでした。
完全に、石巻留学状態でした。
しかし、英語でのコミュニケーションが求められたことよりも、
純粋に会話と食事の二つのことを同時に行うということが難しかったのです。
そんなわけで、なおさら、食べた気がしない日々が続きました。
みんなとの食事が終わった後に、改めて夕飯を食べることが多くなりました。
これでは、また太るじゃないか!
それは、困る。
そう思った私は、
どうせ、食べた気がしないなら、ひとりで食べよう。
という結論に行きつき、その共同生活の中で、みんなと一緒に夕飯を食べないようになっていきました。
和を重んじるはずの、日本人が1番に脱けるという…。
ちなみに、朝食と昼食は、各自だったので問題はありませんでした。
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・食べる量が多い。
・好きなものを食べたい。
・会話しながら食事を楽しむことは難しい。
ならば、
『ごはんはひとりで』
これはある意味、食べることに関しての、私のこだわりと特性だと気付きました。
コロナ禍になって、マスク生活が始まり、食事中の会話を控えるように、と言う世間の常識的なものが、今の私を救ってくれている気がします。
だから何の迷いもなく、ひとりでお店に食べにも行ける。
実は、この特性のおかげで、私の石巻生活は豊かさを増すことになります。
その辺りは、またいつか書いてみたいと思います。
Shalom
TAK
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