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~クリスチャンライフ #1~ miry bog 泥沼から

お久しぶりです。
風の冷たい大阪から、TAKです。

遅ればせながら、2025年もよろしくお願いします。

さて、私は、10代の終わりから、20代の初め頃まで人生の泥沼の中にいた気がします。
実際、泥の中に入ってみるとわかると思いますが、足を突っ込むと抜けません。
えぇ、実際、泥の中に足を突っ込みたい人なんていないと思いますけどね。

しかし続けます。

無理に抜こうとすると、履き物が脱げ転びそうになります。長靴なんてすっぽりです。
転んでしまえば、立ち上がるのに七転八倒。
もう、立ち上がる気も起きなくなる。

そんな人生を歩んでいたように思います。

何がそんなに生きづらさに繋がってたのか、今になると、このnoteに綴っているように、少しずつ紐解いていけるのですが、当時は見事に絡まっていたので簡単には解けませんでした。

毎日、仕事に通う道で「ここで轢かれてしまえば良いのに」と思いながら自転車をこいでいたのを覚えています。

生きている意味がわからず、泥沼の中でもがいていました。

20代の初め頃、自死を試み、失敗しました。

気がつけば、病院の中で、たくさんのチューブに繋がれ、めちゃくちゃ、頭は痛いし、覚醒後は眠れないし、気持ち悪いけどベッドから動けない。
辱めを受け、なお苦しむだけでした。

と、このことは同時に、私の周りを取り巻くたくさんの人を傷つけてしまうことにもなりました。

幸いにも、私はイエス・キリストという唯一の神様と出会うことができ、この泥沼の日々から抜け出すことができました。
今となっては、過去の過ちが失敗だったのではなく、生かされたのだと言えます。

聖書にこのようなことばがあります、

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
 それは御子を信じる者が、1人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」ヨハネの福音書3:16-17(聖書)

聖書 新改訳2017

ひとり子と言うのは、イエス様のことです。
そして、世というのは私たちひとりひとりのことをあらわしています。
罪から解放されて、救われ永遠のいのちを持つために、私たちをつくられた天の神様は、ひとり子であるイエス様を世に遣わされました。

この真理と愛に出会うことができ、私の人生は泥沼から見事に抜け出すことができたのです。

どのように?というのは、追々綴っていければなぁと思います。

今朝、週に1度行っているビデオチャットで、ランゲージパートナーと英語と日本語で聖書を読み合いました。お互いクリスチャンですが、聖書を読み合うのは、初めてのことでした。

それは、私が、今朝、神様からいただいた御言葉の箇所でした。

「私は切に 主を待ち望んだ。
 主は私に耳を傾け 助けを求める叫びを聞いてくださった。
 滅びの穴から、泥沼から 主は私を引き上げてくださった。
 私の足を巌に立たせ 私の歩みを確かにされた。
 主はこの口に授けてくださった。 新しい歌を 私たちの神への賛美を。
 多くのものは見て恐れ 主に信頼するだろう。」 詩篇40:1-3(聖書)

聖書 新改訳2017

ダビデという王様の詩です。
八方塞がりの中から、神様は助けの手を差し伸ばしてくださいます。

叫び求める者の声にこたえてくださる方なのだ、泥沼の中から引き上げてくださって、立たせてくださる方なんだ、改めて感謝が溢れてきました。

生かされたいのちを、神様の愛を伝えていくために生き抜きたいと、今は心から思えます。

みなさん、おひとりおひとりが愛されているということを知ってほしいと思います。

その愛の中で、転んでもまた立ち上がれる。
支えてくださる、愛なる神様が共におられるから。

いのちの尊さを考えるに大切なこの日に、このnoteを残したいと思います。

神様の愛を体験していく人たちが起こされていくことを祈りつつ。

そんな感じ♪

最後まで読んでくださってありがとうございました。

今日という日が、あなたにとって素敵な1日であったことを願いつつ。

Shalom!

TAK

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