ASDの私と大震災
おはようございます、TAKです。
私は、急な変更に弱いところがあります。
さて、阪神淡路大震災当時、学生だった私は、あの大きな揺れを大阪で体験しました。
自室のこたつで寝ていた私は、揺れで崩れた山積みのCDの落下を身に浴びて目を覚ました。
目を覚ました後はもちろん、大慌て。
今まで体験したことのない揺れでした。
揺れがおさまった頃、同じく2階にいて目を覚ました祖母と叔父が、『大丈夫か?』と声をかけてくれました。
しばらくして、私たちは1階に母がいることを思い出しました。(ごめん!母)
母の部屋の扉は倒れたものに塞がれて、内側から開けられないようになっていました。
普段は強気の母も、さすがにひとり閉じ込められて怖かったそうです。
幸いにも、私の家族は全員無事でした。
自宅は照明が割れ、壁や浴室のタイルにヒビが入るなどあったたものの、そこまで被害は大きくありませんでした。
大きな揺れがおさまってからも、しばらく、余震は続いていました。
そんな中にあっても、私の動きは、マイペースで、
『じゃ、学校行ってきます!』
余震が続き揺れる中、私は自転車と電車に乗り、片道1時間程かかる学校へ行ってしまったのでした。
なぜか、私が使う沿線だけが動いていた為、学校にすんなり辿り着けたのです。
普段は、雨が降るだけで遅延するというのに。
学校に着いたものの、他の沿線は運休しており先生たちの多くが学校に来れない状態でした。
結局、登校したものの、すぐに家へと帰されました。
今、考えると、よく帰れたなと思います。
帰宅した私を見て、家族は心底ホッとした様子。
当時、携帯電話は今のように普及されておらず、私が持っていたのは数字しか出ないポケットベル。
帰ってから見ると、家からオニデンが。
『こんな状況の中、学校なんて行かなくてもいい。早く帰って来い。』と伝えたかったそう。
当たり前!
今、振り返ってみれば、ASDの私はただ、日々のルーティンを崩せなかったのだと思います。
大規模災害に対しての知識の無さも酷すぎたけど。
臨機応変に生きることが命に関わる選択に影響すること、東日本大震災後に石巻に来て改めて考えさせられたことのひとつです。
ASDの私と大震災。
そんな感じ。
Shalome!
TAK
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