聖徳太子からザルに
こんにちは、TAKです。
学生時代、私は対面で話している相手の話の他にもクラスで話しているクラスメイト達の会話が、頭の中に入ってきていました。
大人になっても、それはしばらく続き、会話してる相手とのやり取りの合間に、他の人が話しかけたり、疑問が解決できない時に、応答するということがよくありました。
周りからしたら、話を聞いていないと思っていたのに聞いていて答えている、地域がら聖徳太子にゆかりがあることから、ふざけて「聖徳太子か!」とツッコまれたりすることもありました。
多数の人の話を同時に理解するということを、普通にこなしていたのですが、私自身はそれが普通だと思い込んでいましたから、聖徳太子に申し訳ないことこの上ない。
大人になったある時、私の心身に不具合が出ました。
その頃には、多数の人の話が頭の中に言語化できないまま入ってきて、ノイズ化してしまい、ひどく疲れてしまうようになっていました。
多数の人の話はもちろん、いろいろな物音も集音してしまう自分の感覚が、特性のひとつであるということに、ようやく気付くことができたのです。
不具合が出た後は、音の洪水に疲弊してしまい理解するどころか、ザルのように聞き溢してしまうようになってしまいました。
今でこそ、聴覚過敏という言葉を多くの人が知っていますが、私が子どもの頃にはその言葉自体聞いたことがありませんでした。
聴覚過敏という特性を持つ私は、聖徳太子か!とツッコまれる人から、ザルになってしまいました。
サルではなく、人のままでいられることに感謝して、これからも、この特性と付き合っていきたいと思います。
そんな感じ。
Shalom!
TAK
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